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細胞の性質


 細胞の働き

 前回お話したとおり、人間を含めてすべての生物は細胞というものから構成されています。細胞とは、いわば虫かごに小石を入れたようなもの。そこは四方(立体だから六方)を薄い膜で囲まれ、そこを容易に物質が通り抜けて、出たり入ったりしている。というものです。結局細胞は分子によってできている。分子は原子によってできている。すなわち生物は(水:H2O、二酸化炭素:CO2などと同じ)単なる物質に他ならないということです。

細胞は生物の種類によって異なりますが、細胞の働きは基本的にたった二つしかありません。(細胞の機能として、細かくいえばいろいろありますが、基本は二つ)
 (機能1) 必要な物質を細胞内に取り込む
 (機能2) 不要な物質を細胞の外に排出する
ようするにすべての細胞は必要なものを取り込んで不要のものを排出するだけの機能しかないのです。何が必要で何が不要なのかは細胞によって違います。その細胞固有の物質を取り込むと細胞内で化学反応が起こり、別の物質に変換して排出される。というものです。これは前のコラム「生物とは何か」で説明したとおりです。

この二つの機能に即して特徴的な細胞を説明すると意外と容易に細胞の働きを理解することができます。(補足1)

例1、細胞間のやり取り
 「図39」を参照。隣接した細胞同士のやり取りも上記二つの機能さえ知っていれば解ります。
ここで問題です。細胞が分裂によって単純にその数を増やしました。増えた細胞は一つの細胞から複製されたものですからみな同じものです。この増えた細胞が一カ所に集まったものを「コロニー」といいます。さて、このコロニーの細胞の群れは二つのグループに分かれます。そのグループとは何でしょう?
答え:外側の細胞群と内側の細胞群。外界に接しているものと内部に存在するもの。

例2、神経細胞
 神経細胞が集まって複雑に絡み合っているものが脳です。もちろん生物(動物)に脳は必須ではありません。脳がなくても立派に生きていけます。 (注)
神経細胞は右隣(右とは限らないけど)にいる同じ神経細胞に向けて刺激を与えるような物質を放出しているだけです。その刺激物質を与えられると今度はその右隣にいる神経細胞に刺激を与える。そうやって次々と刺激が伝わっていく。これが刺激が伝わる(足を踏まれて「痛い!」と感じる際、足から脳へ刺激が伝わる)仕組みです。ただそれだけの話です。つまり脳を構成している神経細胞も上記二つの機能だけで説明できるわけです。(「図39」参照)
(注)クラゲやヒトデには脳がない。ただし神経はある。

例3、生殖細胞
 人間を含めて生物(特に動物)には、なぜオスとメスの二つしかないのでしょうか?三つ目があってもいいと思いますが・・・この性はなぜ存在するのでしょうか?一つだっていいじゃない・・・ 現にバクテリアなどの単細胞生物には性(オスメスの違い)はありません。なぜ性が生まれたのか?
ところで皆さんに質問です。ある日、今まで知られている生物とは異なるまったくの新種を発見したとき、その生物にも性があったら、どっちをオス、どっちをメスとすべきでしょうか?オス、メスの定義は?
体が大きい方がオス? ノー。子宮がある方がメス? ノー。髪の毛が長いほうがメス? ノー。
以上はみな人間ぐらいにしか当てはまらない例外事項です。正しくは、その生物の生殖細胞を比較して、大きいほう(重いほうではない)がメス、小さいほうがオス。
大抵の生物はオスとメスの違いなんかほとんどない。どっちがオスでどっちがメス。そんなことはどうでもいい。自然界には陰と陽、プラスとマイナスの二つの両極がある。なんていうのは誤った考え方です。よく「男は強く、女は優しく」なんて言われますが、そんなことは人間でも当てはまらない。(補足2)
オスとメスの違いは単なる(生殖)細胞の違いです。そしてその機能の違いに、上記二つが当てはまります。まずオスの細胞(精細胞)が不要である遺伝子を(不要だから)排出します。それをメスの細胞(卵細胞)が(必要だから)取り込む。これを受精と言います。ただそれだけのことです。そして卵細胞の中でオスの遺伝子とメスの遺伝子が結合して新しい遺伝子(をもった個体)が生まれるのです。(図39参照)
つまり細胞は、物質を放出するか受け取るかのどちらかしかなく、だからオスとメスの二つしかない(三ついる必要がない)のです。
この取り込みと排出は生殖細胞に限らず細胞の本質ですから、遥か古代の原始的な生物に性がなかった時代から、まったくの偶然に性(オスメスの違い)が生まれたように思われていますが、それは違うと思います。すなわち性の分化は本質的であり、たとえば生物の進化を無性時代まで遡って、今一度進化をやり直したとしても、性は必然的に生まれるでしょう。
そういう意味でいうと、無性生殖、有性生殖という言い方は本質的ではなく、生殖(生殖とは、細胞が分裂して増えるという意味)はすべて性に無関係で起こり、受精などの現象は、上記取り込みと排出の働きの一つでしかないのです。
後に述べる生物の進化については、偶然的要素に左右される面も多々ありますが、このように生殖細胞などが出現したのは偶然ではありません。そこには明確な”理由”が存在するのです。科学は必然性を研究する学問です。(偶然性でもその統計的考察を行う) 単なる偶然の出来事など現実には存在しません。細かい点では偶然でも、その上には大いなる必然、即ち自然法則が存在するのです。自然法則は人間が勝手に変更することはできません。それは全宇宙を貫く普遍的な真理です。

細胞の増殖
 生物の性質として、生物はその内部から生物を生み出すものだとしました。実際は細胞が分裂して二つになる現象です。
なぜ二つになるのか、三つにはならないのか?それには訳があります。細胞の分裂は、遺伝子DNAが自分の複製を作り、二つになった遺伝子が分離して、その際細胞そのものが遺伝子を持ったまま分離する(二つになる)のです。細胞が二つに分かれるのは、このDNAが二重らせん構造をしていることが理由です。次コラム「DNAとは」参照。
つまり、高分子化合物であるDNAはいわば長く伸びたひものようなもの。それが二つ絡み合った構造をしています。もしも仮に三重らせん構造をしていれば、細胞は三つに分裂するかもしれません。(補足3)
この二つに分裂することを何度も繰り返すと、1個だったものが2個に、2個が4個に、そして4個が8個・・・と言う具合に、細胞は倍々に増えていくことになります。

多細胞生物とは
 生物は一つの細胞からできている単細胞生物と人間のようなたくさん(人間の場合、数十兆個)の細胞からできている多細胞生物の二つがある。というのは正しくはありません。細胞一つ一つが別の生物なのです。だから人間のようなものは、たくさんの生物の集合体とみなされるべきです。(たとえるなら、家族、集団、町?です) 誤解を恐れずに言えば、そもそも「人間」と言う生物はいません。
誤解している方も多いのですが、人間のようにたくさんの細胞が集まった生物に、他の細胞に指令を出すような中枢細胞みたいなものがあるわけではないのです。細胞は全て独立しています。(補足4) 脳は司令塔ではありません。
ところで、(便宜上使いますが)多細胞動物(クラゲ、ミミズ、タコやイカなどの軟体動物、昆虫やカニなどの節足動物、ホヤや我々人間のような脊索動物など)にとって一番大事な器官は何でしょうか?脳?ノー、 手足?ノー、 目?ノー、 正解は口です。(「図39」参照) 

細胞機能の変質
 細胞は分裂によって増え、それらが集まって集団を作ります。これをコロニーという。このコロニーの外側の細胞と内側の細胞はまったく同じものなのに、働きが違います。(「図39」参照) つまり場所によって機能が異なる。機能が異なると形態も変化するという具合です。ただし、もともと同じ細胞ですから、入れ替えは可能です。内部の細胞を外側に出せば、働きも変わる。それに伴って形態も変化する。(補足5)
もともと同じ細胞が役割によって形態を変えるということですが、最初は両方の役割(どちらも可能)を持っていたものが一方の役割しか持たなくなる(専担になる)場合があります。たとえば上記生殖細胞です。最初は(状況によって)精細胞にもなれれば卵細胞にもなれたのに、進化の過程で一方の機能が失われたとしても問題はない。両方ある必要がなければ一方を捨てた方が有利。それが生物の原理です。両方(オスとメス)の機能があった方がいいと思うかもしれませんが、その考え方は生物の世界では通用しません。(ただ、後世動物では遺伝子そのものがオスとメスでは異なっています。)

細胞の分化
 人間のような多細胞生物は、最初はたった一つの細胞(受精卵)が分裂して、さまざまな器官(手足、内蔵、骨、筋肉、脳)になったものです。これを細胞の分化といいます。どうしてこのように同じ細胞から分岐したものに違いが現れるのでしょうか?
生物が進化するにしたがってこの変化によってさまざまな器官が作られるようになったようです。次のコラムでも説明しますが、細胞が進化するに連れて遺伝暗号を持ったDNAはどんどん大きく(長く)なっていきました。するとそこで作られる(誘導される)物質も、大きくなる。細胞内には小さくてたくさん作られる物質(たとえばミトコンドリア)もありますが、それは細胞が二つに分裂しても両方に行き渡ります。もし一つの大きな物質しか作られなかったら、それは分裂の際一方に移る。遺伝子が分離した時点で、二つの細胞は異なる性質を持ち、そのことによって二つの細胞は運命を異にする。ただし、細胞が分化を終了すると、分裂しても同じ細胞になり、それが集まって一つの組織(同一細胞の集まり)になります。(「図39」参照)

細胞の死
 上で説明した通り、細胞は特定の物質を取り込んで化学反応を行い、反応後に生成された物質を排出する働きがあります。
ところが細胞がその物質を取り込んでも、そこで化学反応を起こさずそのまま排出される場合があります。これは細胞が機能していないことを意味します。しかし細胞が死んだとは言い切れない。化学反応が飽和(一部必要な物質やエネルギーが不足しているため、化学反応が一時的に停止している状態)しているだけかもしれません。(これを仮死状態ともいう)
ただし、細胞膜が破れて細胞質(主に遺伝物質)が飛び出してきたなどの物理的破壊を被ったら、細胞は完全に死にます。死んだ細胞が生き返ることはありません。

最後に一言いっておきたいのですが、人間を含めた生物が活動できるかたちで誕生する過程には、このように細胞分裂や細胞分化が一分の狂いもなく整然と行われる必要があります。それはまさに神業、奇跡に近いものだと思います。いかなる単純な生物でも自然に創られたものはすでに緻密さの極みに達しているわけですから、人間が創作したどんな人工物よりも勝ります。(つまり生物はデジタル化など決してできないということ。) まさに自然こそが神そのものだと言えるかも知れません。

(補足1) 多細胞生物でも生きている限り必要なもの取り込み、不要なものを排泄する活動を行っています。例えば捕食、老廃物等の排泄。それと呼吸。その他にも、不要なものを排泄する活動として出産があります。結果として子宝に恵まれることですが、母親にとって子供(の身体)はあくまで不要なものなのです。

(補足2) 例えばある種の魚は、状況によってオスになったりメスになったりします。同一の生物個体にオスの器官(精巣)とメスの器官(卵巣)を合わせ持つものもいます。
人間は特殊な生物で、オスとメスすなわち男と女の違いが顕著?(←そうでもない)なのは、進化の過程でたまたまそうなったにすぎず、そうならずにオスもメスもほとんど変わらないものもいます。様々な生物を観察すれば、オスとメス、男と女の本質的な違いなんかない?ことがわかりますよ。

(補足3) 原子には特有の腕があり、原子同士の結合はその腕が相手の腕と握手するイメージ。腕の数は原子によって異なり、酸素なら2本、水素は1本という具合に。酸素の腕2本にそれぞれ水素2個の腕1本が握手することによって、H2Oすなわち水ができます。この一つの水素の腕が酸素を飛び越えて、もう一つの水素と直接握手することはありません。つまり大抵の場合原子が結合する際の腕は1対1(腕1本に対して腕1本)になるのです。しかし(非常に)稀に三つの原子同士が、一点で結合する。すなわち3個の原子が腕1本ずつを伸ばして一か所で握手するという形があります。化学的にはこれを「三中心結合」といい、ジボランという物質(化学式で書くとB2H6)で原子が結合する際の形です。

(補足4) 多細胞生物でいうとその生物を構成しているすべての細胞に遺伝子があります。たとえばリンパ球にも、リンパ球が生殖細胞になるわけではないのに、生殖細胞と同じ遺伝子を持っています。生殖細胞はこれから体を作るわけですから、その設計図となる遺伝子(DNA)を持っているのは当然ですが、たとえばリンパ球の働きとは無関係な目の設計図となる遺伝暗号も持っているのはなぜか?必要ないのに。
答え、細胞は皆平等だから。これこそが進化の証拠です。

(補足5) 海綿と言う生物は細胞をバラバラにしてももとの状態に戻る。よくある生物の再生。有名なプラナリアの体を上下半分に切っても、頭と尾から再び尾と頭が再生して二匹になる現象など、細胞の働きが変化する例です。

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