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何のために生きるのか?


人間は果たして何のために生きているのでしょうか? 注意:これは決して宗教ではありません。

「あなたは何のために生きているんですか?」と問われればどう答えますか?
大抵の人にとってはそんなこと考えたこともないためか「生まれてきたから生きている」としか答えません。
なんとなく仕方なく生きている感じですね。では、「なぜ、生まれてきたんですか?」とさらに問えば、「親が産んだから」としか答えようがないでしよう。
そんなことは当たり前。「自分は何もこんな世の中に生まれてきたいと思ったわけではない。自ら望んだわけではないのに、この世に生まれてきたばっかりにつまらない人生を送らなければならない。悪いのはあくまで親だ」と自分の親に文句を言うわけです。原因はすべて親にある。親こそ憎め!(補足1)
しかしその親も自ら好んでこの世に生まれてきたわけではありません。親も被害者。そのまた親も被害者です。悪いのは先祖?先祖がいたからこんなひどい世の中に生まれてしまった。先祖なんか糞くらえだ!!いや、先祖だって悪気があって子孫を残したのではない。そんな子孫たちから憎まれ口を叩かれるなんて思ってもいなかった。先祖も被害者。悪いのはこの世界を最初に造った者、それが最大の悪人である。それは誰でしょう。神様です。神様がこの世界をお創りになった。そして人間を造った。だからあなたが産まれてきたのです。
「神様のバカヤロー!!神こそ憎んでやる!!神こそ呪ってやる!!自分がこんな苦しい思いをしなければならないのはすべて神の精だ!!神なんか殺してやる!!」
しかしあなたがどんなに神をののしっても、神は応えません。なぜなら神など存在しないからです。
もはや生まれてきた以上は元(母親の胎内)には戻れない、とあきらめるしかないのです。悲しいけれど仕方がない。
では何のために生まれてきたのかはさておいて、あなたは何のために生きているのですか?と問われたらどう答えますか?
「生まれてきたから生きている」あるいは「わからない」と答えますか?
では質問を変えてみます。
あなたはなぜ毎日会社に行くのですか?「会社に行ってお金を稼がないと食べていけないから?」
あなたはなぜ毎日ご飯を食べるのですか?「食べないと死ぬから」(食べても人間はいずれ死にますよ)
結局そうしたいからそうする。というのが結論のようです。
なぜそうしたいのか?それが動物としての人間の本能だからです。理由はありません。考えても分かりません。でも、だからと言って生きるのをやめて死ぬわけじゃない。
「なぜ食べたいの?なぜ飲みたいの?なぜそうしたいの?」もはや「そうしたいからそうしたい」という答えにならない答え。犬や猫と同じレベル。
ただ生物としての本能に従って、欲望の赴くまま、やりたいことをやる。食べたいものを食べる。ハエやゴキブリと同じ。
それではあまりにも人間として情けない。「なぜそうしたいのでしょうか?」よりも「あなたは何を求めているのでしょうか?」と質問を変えてみることにします。
すると、それは「人間が求めていることは、ずはり"幸福"です」という結論に達します。すなわち、人間は誰しも幸せになりたい。人それぞれ幸せの内容は異なるかもしれませんが、求めるものは「幸福」です。幸せになりたくない人なんてこの世には存在しません。もしかしてあなたは不幸になりたいですか?お金なんかほしくはない。会社で出世なんかしたくない。社会的地位なんかいらない。そう言うかもしれません。しかしあなたにとって金持ちになること、社会で出世をすることは”不幸”なんです。やはり、あなたも幸福になりたいのだと思います。
否、お金持ちになること、出世をすることは誰にとっても幸福だ。なぜなら誰だってお金は欲しいはず。いいえ、違います。幸福は経済的豊さだと決めつけてはいませんか。そりゃ青山だってお金は欲しい。ただし、お金を得るためには働かなければいけませんからね。お金が天から降ってくるわけじゃありません。幸福イコールお金。社会でもそのような解釈はありません。自分にとっての幸福は、自分だけのものです。社会的価値観など関係ありません。
いずれにせよ。あなたは幸福になりたいのです。「幸福になりたい」。それは誰しも、もしかしたら犬や猫もそう答えるかもしれません。

 ところであなたにとって幸福とは何ですか?お金が幸福ですか?自分は大阪名物串カツが大好物だから、その串カツを食べることが幸福?だったら何万個も何億個も食べればいい。いや、もうお腹いっぱいで食べられない。これ以上食べたら死ぬ。死んだっていいじゃないですか。幸福になれるのなら。いや、死にたくない。だったらあなたにとって(これ以上)串カツを食べることは幸福ではなく”不幸”なんですね。つまりあなたにとっての幸福は、「串カツを食べること」ではありません。もしお金を得ることが幸福だと言うなら、銀行強盗でもしたらいいと思います。いや、そんなことをしたら警察に捕まる。捕まったっていいでしょう。それが幸福なら。いや、刑務所に入るのは嫌だ!だったらあなたにとってお金は必ずしも幸福ではありませんね。
皆さんは、お金持ちや大富豪を幸せだと思いますか?欲しいものは何でもすぐに手に入る。食べたいときに食べ、遊びたいときに遊べる。欲望はすぐに満たされることから、何を得られても、何を食べても、何をしても幸福を感じることができない。つまり不幸なんです。その点我々庶民の方が幸せです。滅多に叶えられないことが実現した。その時喜びを感じるのです。後々話しますが、仏教の開祖である2500年前にインドで誕生した釈迦は不幸でした。なぜなら彼は王の家に生まれ、何不自由ない青年時代を過ごしたから。そのため彼は身分財産すべてを捨てて出家したのです。つまり釈迦は人々を救うために修行したのではありません。自分自身を救いたかったのです。
幸福はそんな単純なものではありません。時と場合によって違ってくるのです。人によらず人類全体、否生きとし生ける者にとっての幸福とは何か?串カツを食べたい。お金が欲しいなどの断片的なものではなく、もっと普遍的な幸福について考えてみましょう。
では、その「幸福」とは何でしょうか?それはまた次回。

(補足1) 当たり前のことですが、人間は自分自身の意志によって生まれてきた者は一人もいないのです。もし自分が出現する以前に「生まれてきたい」と言う意志が存在したとしたら、その意志は誰の意志?当然自分ではないですね。自分はまだ存在していませんから。

【補足説明】 何のために生きるのか?
この「生きる」とは具体的に何か?会社に行く。食事をする。シャワーを浴びる。などの意識的な行為の全てが「生きる」である。その行為によって、幸せな状態を実現することである。そうすることが幸せであり、そうしなとこが幸せではないこと。人間は何のためるに生きる(そうする)のか?そうしたいからそうするのではない。幸せになりたいからこそそうするのである。逆に不幸になりたくないからそうするのである。
結論 何のために生きるのか?それは幸せになりたいからである。
ここでよく誤解されるのが、人生には目的があるのかないのか?
青山としては、人生例えば80才まで生きたとして、その間に人間としてやらなければならないことなんか一切ないと思います。だから人生の目的や目標なんてないんです。もし目的があるなら、自分は何のために生まれてきたのか、明確に答えられるはず。そんなわけありませんよね。なぜなら人間は皆自分の意志で生まれてきたわけではないですから。
人生80年間生きてきていろいろなことをしたとしても(例えば歴史に残る大事業をしたとしても)、生まれてから8日間しか生きられず、ただ呼吸だけしかできずに終わってしまったとしても人生と言う意味からして大した差はないんです。
重要なことは人生と言うスパンで考えるのではなく、今この瞬間何のために生きているのか、何のためにそうする(食べる。会社に行く)のか?ほとんどの人間は結局死なないために生きている(食べる。仕事をする)に過ぎない。死なないために必死に努力しても最後には必ず死が訪れます。少しでも長く生きるために努力する。そんな一日だけ長生きしても意味ないでしょ。どうせ死ぬんだから、死から逃げようなんて努力は全て空しい。そんなこと(一日でも長生きする)のために生きるよりも、今を楽しく生きようではありませんか。それはもちろん本能的な快楽を追い求めることではありませんよ。あれは虚しさをごまかしているだけですから。そうではなく人間として本当の幸せのために今こそ生きようではありませんか。将来のためではなく今のために。

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