TSUKUSHI AOYAMAのホームページ

トップへ戻る インデックス
← 前へ 次へ →

無限次元空間論


 最後に量子力学の謎、どうして粒子の状態(特定の位置と時間における速度や運動量)が特定されないのか?について、考えてみましょう。それにはまず前にお話した「不確定性原理」の意味についてもう少し考察してみたいと思います。
図22「不確定性原理の解釈」をご覧ください。
説明文を読んでいただければ分かる?かと思いますが、正確な位置と時間を特定したならば、そこで起きている事象は完全に一つだけ。二つの事象があってはならないのです。

次元とは
 次元とは何か。それは時間と空間に分けられますが、その全ての次元の値が決定されたなら、そこで起こっている事象は完全に一つに決定されるものというもの。従って時間と場所が決まれば、そこで起こっていることは二つ以上はありません。この世界がもし3次元なら、何年何月何日何時何分何秒とまず時間を決めて、次に場所を座標軸の縦横高さと言う具合に3つの次元を決定したなら、そこでの状態はたった一つに決まります。つまり確率は0か1で完全に決定されるのです。なお、各次元において相対性原理(前節参照)が成り立つということを留意してください。
ところが「不確定性原理」によれば、それでは決まらない。決まらないのはなぜか、ということで、図23「ミクロ次元」をご覧ください。
要するに縦横高さ以外に目には見えないミクロの次元が存在しているのではないかというあくまで想定です。そのミクロな次元が決まらないから、状態も決まらないという一つの仮説です。
このミクロ次元はあまりにも小さい為に、マクロな視点では無視して構いません。(補足1) なぜならその誤差はほんのわずかですから。ただし、素粒子の振る舞いなどを厳密に論じるときには考慮しなければならないということです。
つまり小さすぎて目には見えないが4つ目の次元があるということ。(補足2) その値が決まらないから状態も決まらないということです。(この不明な次元というものが何なのか、イメージ的なものを図23に示していますのでご覧ください)
ならばこの4つ目の次元が確定すれば、状態は完全に決定される?
・ところがこの4つ目の次元を確定させることはできない。そのような確定できる次元(変数)は存在しない。(補足3)
・さらには、こんな確定できない第4の次元など物理的に無意味。
問題は、第4の次元がなぜ確定できないのかということです。図23のように第4の次元が確定できないから、マクロな次元であるx軸(3次元のうちの一つ)方向の運動が確定されないわけです。
理由は(これもあくまで仮説ですが)、第4次元にさらに直角に交わる第5の次元があるということ。この第5の次元の形が決まらないから第4の次元であるw軸方向(マクロ次元をx軸、y軸、z軸と直角に交わるもの。仮にこれをw軸とします)の運動が定まらないのです。
さらに第5の次元もさらにそれと交わる第6次元が決まらないために、その運動が定まらない。結局次元は無限に続き、最初のx方向の運動が定まらない。つまり不確定であるということです。(図24「無限次元空間」参照:大変わかりにくいイラストで申し訳ありません!)
何となく分かりましたか?それとも全く分かりませんか?3次元が当たり前の世界にいる我々にとって、目に見えない4次元や5次元の話をしてもイメージが掴めないのもごもっともです。
とにかくあくまでも、これはみんな仮説だということです。仮説は自由に創造していいものです。何の規制もありません。ある意味楽しいですよ。好きなように仮説を創ることは。

(補足1) 日常生活、社会生活においては、全く考慮する必要はありません。古典力学(量子力学以前のニュートンの力学)ではそもそも「不確定性原理」なんか問題にしてませんから、次元はあくまで3つあれば十分です。

(補足2) この第4の次元(w軸の方向)はマクロな3次元の一つであるx軸および、他のマクロ次元、y軸、z軸とも直角に交差している

(補足3) 量子力学に反対したアインシュタインらの考えによると、量子力学は不完全な理論であり、理論の中に不足している変数がある。これを「隠れた変数」と呼びます。その変数を見つけ出せば、量子力学でいうところの「不確定性」はなくなるというもの。それがまだ見つけられていないのは、我々が学問的に未熟だからである。と言うことです。もしそんな変数が存在し、かつそれが局在的であるなら、満たさなければならない不等式があります。これが有名な「ベルの不等式」です。局在的と言うのは、この変数の変化は徐々に空間的に伝わっていく。つまり影響が瞬時に(光の速さを超えて)遠隔に伝わることはない。というもの。後にこのベルの不等式が満たされないことが実験により示されました。ということは我々がまだ見つけられない隠れた変数なんかないということです。

参考として、図25「量子力学とエントロピー」もご覧ください。

最後に
ここまで量子力学について述べてきましたが、世間一般に対する青山個人の印象としては、量子力学がいかに誤解されているかということです。
量子力学では、この現実世界において何かを観測する際、その対象に必ず影響を与えてしまい、その変化は無視することができないというもの。そのことは因果律にも反しておらずごく当たり前のことを言っているに過ぎません。なぜ量子力学から"思考は現実化する"なんて話になるのかさっぱり解りません。(補足4) 果ては、神や悪魔の存在を証明できるなんて。頭がおかしいのか?それとも科学の知識が浅い世間一般をだまして金を儲けるのが狙いか?(補足5)
青山はこのような風潮に対して怒りさえ覚える。この青山が死んでも許せないのは、宗教が科学を歪めているということです。前にも述べた通り宗教と科学はまったく違うものです。科学と宗教を混同しているようでは、正しく科学を理解することはできません。その誤りを正すことが、この科学概論の目的なのです。そのために科学を名乗る宗教を攻撃するのです。
ただ、本来の宗教はとても素晴らしいものです。人間が編み出したもので宗教こそは科学と並ぶ人類最高の宝と言っても過言ではありません。宗教との違いを理解して本当の科学を実践してこそ、人類は幸福を手にできると確信しています。

(補足4) 量子力学とそれ以前の古典力学との違いは何でしょう。量子力学では、観測している系と観測していない系では状態が異なる。別の言い方では、「観測の仕方によって、対象の状態が違う」というもの。これが量子力学の基本原理です。そして不確定性原理によって、この状態の違いを正確に補正することはできません。それに対して古典力学では、観測していようがいまいが対象の状態は変わらない。というものです。
量子力学における観測のプロセスとは、まず人間がその対象すなわち現実を観測しようと試みる。”試みる”ということはそこに観測主体である人物の意識が働いたことを意味します。意識が働いて、対象に(意識的に)光を当てた途端、対象の状態が変化する。つまり観測者の意識によって、現実が作られるということ。しかし因果律的に言えば、まず観測者の意識が働いて、それによって対象に(光を当てるという)作用を及ぼし、その影響を受けて対象の状態が変化するという極めて当たり前のことを言っているに過ぎない。これは原因と結果の関係ですから、量子力学を適用しなくても成り立つことです。
一連の流れは、
【プロセス1】人間の意識が働く ⇒ 【プロセス2】対象に作用を及ぼす(光を当てる) ⇒ 【プロセス3】対象の状態が変化する
ここで、最初の「プロセス1」と最後の「プロセス3」を採ると、「人間の意識が現実を作る」となります。これでは観測者である(一人の)人間が不在なら、世界そのものが存在しないことを意味します。そうです。あなたが生まれなければ、世界はない。何一つ存在しないのです。あなたの死とともに、世界は消滅するでしょう。本当にそうでしょうか?「人間の意識が現実を作る」という言い方、これが誤解を生んでいるのでは?
誤解のないように言いかえると、「人間の意識が、現実に変化を与えることもあり得る」。そうすると違和感が無くなります。当たり前のことです。つまり意議が働いても、【プロセス2】(世界に作用を及ぼす)がなければ、世界は何も変化しないということです。
ただ人間の意識が働けば、大方それが行動になって現れる。従って世界に何らかの作用を及ぼすのです。ただし、意識の働きによって世界を思いのまま変化させることはできません。はからずも、量子力学の不確定性原理がそれを禁じているのです。(むしろ古典力学を用いた方が、確実に現実を変えることができるでしょう)

 「人間の意識が現実を作る」 ではなく 「人間の意識が、現実に変化を与えることもあり得る

要は言い方の問題です。量子力学とは関係ありません。確かに、「人間の意識が世界に影響を与える」から「人間の意識によって世界の状態が決まる」とも言えるし、「人間の意識が世界を作る」でも間違いではない。確かにそうです。因果関係が成り立っていますからね。ただし、どのうよな世界が作られるか、人間が意識的にそれを知ることは原理的に不可能だと言うことです。だから思うような世界を実現することは、神様じゃない限り不可能でしょう。
我々の日常的なこと、つまり会社で仕事をする。家族とコミュニケーションを取る。など日々の生活において”量子力学”を意識する必要は全くありません。古典力学だけを知っていれば十分です。例えば、あなたの家の居間のテーブルの上に、あなたのお気に入りの人形が置かれているとしましょう。その人形の顔を見るためにあなたは部屋の電気を点けました。電気を点ける前と電気を点けた後では、人形の状態(顔の表情?)は変わるでしょうか?いいえ、ほとんど変わりません。その変化は無視して差し支えないのです。プランク定数(前出)の効果が現れるくらい、微妙な違いにこだわらない限り。(薄暗闇の中の人形の表情は、何かあなたの心を見透かしたように不気味に見えるかも。それに対して明るい光の中の人形の顔は優しさを湛えている。その違いは何か?すべてはあなたの心の中だけの変化です)

(補足5) つまりどんなオカルトも信じるのは自由。私は妖怪を信じています。私はろくろ首やから傘お化けはいると思います。
それはご自由に。でも、ろくろ首の存在は量子力学のディラック方程式によって証明されている。なんて言うと反論されるかもしれない。

ご意見・ご質問