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釈迦の生涯 弟子たち


 釈迦の教えを聞き、弟子になった者は数多くいます。ここで主な弟子を紹介します。

ラーフラ 釈迦の実子です。悟りを得た後釈迦は仏陀として故郷の城に帰りました。
そこにラーフラが現れて、自分に王位継承権を譲ってほしいと頼みました。すると釈迦は、「よろしい」と言って、ラーフラを坊さんにしてしまうのです。なぜか?既に釈迦は在俗の人間でありません。譲れるものは法(仏陀の教え)のみです。教えを聞くためには出家しなければならない。だからです。
なお、ラーフラは出家させたとしても未成年です。成人するまで僧侶としては認められないため、見習い小僧の身分です。釈迦はわが子であっても決して特別視はしなかった。

ナンダ 釈迦の異母弟です。すでに釈迦が出家してしまったため、王位の継承権を持っていました。
その弟を釈迦は無理やり出家させてしまうのです。これはひどい話です。結果王位を継ぐ者はいなくなり釈迦国は滅びるのです。後継者なき釈迦国は隣の強国コーサラに攻められ、あえなく滅亡しました。
父親のスッドーダナはさぞかし無念だったことでしょう。言ってみれば釈迦ほど親不孝者はいない。
ただし、国が滅ぶ滅びないは所詮俗世間の話。釈迦にしてみればもはや世俗のことに関わりません。自分の故郷が滅んでも動じることがなかったと思います。
この敵であるコーサラの王は後に釈迦に帰依しました。本来なら自国を攻めた憎っくき相手です。しかし釈迦は一言もその話をしなかった。政治に関わることもない。それが出家者と言うものです。
このコーサラも、いずれ大国であるマガダに滅ぼされます。そしてこのマガダも滅びるのです。国が滅びればそこには少なからず悲劇がある。一番の悲劇は王自身です。無理やり弟のナンダを出家させたといいますが、この世俗の悲しみから弟を救おうとしたのかも?しれません。

マハーパジャパティ 釈迦の義理の母親です。当時女性の出家はありえませんでした。釈迦も当初女性の出家を許すつもりはまったくありませんでした。
しかしマハーパジャパティの懇願により、やむなく出家を許したのです。つまり今日まで続く尼僧制度の誕生です。これは画期的なことでした。出家とは仏陀を目指すことです。今まで女性で仏陀になった者はいません。
はっきり言って仏教は女性に対して差別的です。もちろん女性だから悟れないなんてことはありませんが。
ただ、当時男性の出家の動機として、「宇宙の真理を体得したい」「精神的な安心(あんじん)を得たい」それに対して女性の動機は、「男に捨てられた」、「姑にいじめられて逃げてきた」というもの。もちろんすべてがそうだとは限りませんが、随分違うと思いませんか?

ウパーリ ここまでのように釈迦の弟子は彼自身の血族や親類が多いのが特徴です。つまり王族や貴族が多い。庶民の出家が少ない中、ウパーリはれっきとした庶民です。宮廷に仕える理髪師でした。
当時理髪師は賤民の仕事だとされていました。しかし釈迦は在家時代の身分等一切問いません。後にウパーリは釈迦の十大弟子の一人になるのです。

ダイバダッタ 釈迦の従兄弟です。悪人の代名詞にもなっています。釈迦を殺そうとしたと記録されていますが、本当でしょうか?
青山の推測ですが、彼は釈迦と意見を異にしただけだと思われます。お互い人間ですからそれは当然のことと思います。ダイバダッタは自分の意見に賛同する弟子を連れて教団を出て行きました。釈迦のもとに留まった弟子たちから見ればダイバダッタは裏切り者です。だから悪人に仕立て上げられたのではないかと。
釈迦を殺そうとするほどの悪人なら、出家の時点で釈迦はそのことに気付いたはず。出家して修行を続けて行くうちに悪に染まったのなら、修行そのものが害であったこと。
以上から単なる意見の相違だったと推測したわけです。つまり別にダイバダッタだけが悪人ではない。こういうことは組織では往々にあることだと思います。(補足)

アーナンダ 釈迦の従兄弟でダイバダッタの弟です。釈迦の親戚ということでやはり貴族の出です。
さて、釈迦の時代の師と弟子の関係はどういうものだったのでしょうか?今日仏道に限らず師弟関係というものは厳格です。師は絶対であり、弟子は従順にそれに従うのです。
しかし師が絶対に誤りを犯さないという保証はない。時に師弟で意見の相違があり、よくよく考えてみると弟子の意見のほうが正しかったこともないとは言えません。
今日の師弟関係ではなく、お互いに意見を言い合える。釈迦と弟子の関係はそういうものじゃなかったか?と思います。つまり師弟ではなく友人に近い関係です。伝わっている問答からもそれが分かります。弟子は釈迦に対して遠慮なく質問をする。釈迦は弟子の意図を知った上で分かり易く答えている。仏典では釈迦が弟子によって間違いを正されたという話は残っていません。本当になかったのか疑問です。確かに釈迦は他の出家者よりも格段に優れていました。ただし絶対ではない。そういう意味で今日師と弟子の絶対的な関係は釈迦の考えに反するものです。
本来の仏教では、師弟ではなく友人を重んじます。例えば釈迦と最初に弟子になった修行仲間とは師弟ではなく(修行者がまだ悟っていない時点では師弟だが、悟った後は)友人の関係ではなかったかと。
仏教では良き友達のことを善友といいます。善友とは同じ目的、つまり悟りを得るという一つの目標のために互いに励ましあう関係。それが親子、兄弟、親戚、上司と部下、そして師匠と弟子以上の関係であるのです。なぜなら友には執着心がないから。何も相手に期待しないし、相手からも期待されない。友達の関係なら(釈迦も含めて)みな平等。そこに上下関係など身分の差はない。身分などは俗世間の話。出家以前は貴族だろが庶民だろうが、出家後はそんなことは一切関係なし。
なぜ師弟関係はよくないのか?師は弟子を可愛がる。弟子は師を頼る。そこに仏教で克服しなければならない執着が生じるのです。もちろん自分一人で判断するのではなく、他人の助言を聞き入れる姿勢、教えを聞くことが必要です。ただしそれは一方通行ではありません。
今日特に日本の仏教系の教団ではこの師弟関係を重んじるところがありますが、本来の仏教の立場とは異にしています。
その決定的弊害こそが釈迦と弟子のアーナンダの関係です。釈迦が、従順に仕えるアーナンダを手放さなかったからこそ、アーナンダは最後まで悟れなかったのです。釈迦がアーナンダを故意に可愛がっていたことは確かです。アーナンダはそれほど釈迦にとっていなくてはならない存在だったのです。アーナンダも釈迦を慕っていました。
ただし、釈迦が80歳まで人々に法を説き続け、大勢の人を教化できたのはすべてアーナンダのおかげです。アーナンダが釈迦の話を覚えていたからこそ、それがそのまま経典になったのです。もしアーナンダいなければ経典など作られなかった。すると今日まで仏教が残っていなかったでしょう。
釈迦にとっては、ここまで世話を果たしてくれたアーナンダにいくら感謝してもしきれない。そしてすべての僧侶ならびに仏教徒はアーナンダに感謝すべきでしょう。

(補足) 聖人伝説に悪人はつきものらしい。イエスの弟子にも有名な「ユダ」が登場します。ただし本当にユダは悪人だったのでしょうか?もし最初から悪人なら、イエスほどの賢者が見逃すわけはありません。わざとユダを十二使徒(十二大弟子)にしたのでしょうか。なぜ?イエスはユダの裏切りを知って、「ユダは生まれてこないほうがよかった」と言います。
(これは青山の説ですが)この言葉はユダだけに言ったのではない。すべての人間に対して言っているような気がします。なぜなら人間はみな罪びとだから。

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