山頂で会いましょう

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雲取山(東京都・山梨県・埼玉県)その2


東京近郊で雪山を楽しめるところ。東京は雪が少ない。上信越に行けばよいのですが、返って雪がありすぎ。東京都内で一番雪が多いところ。というわけで、何度も登っている東京都最高峰、雲取山に雪の一番多い時期を選んで向かいました。実は前年の3月に一泊二日でこの雲取に登る計画を立てたのですが、例の「東日本大震災」で、西武の特急列車が間引きされ、よい時間帯の電車がなかったため、その年は断念しました。
次の年の1月下旬。同じように小屋泊りの一泊二日で、冬の雲取の計画を立てました。
西武秩父からバスで三峰神社へ。そこから登山開始です。今回三峰ルートは初めてです。鴨沢ルート(東京都側から登る)よりも高低差はありませんが、距離はそこそこあります。しかも雪道。鳥居を潜ったところで軽アイゼンを装着。ダブルストックで雪道を進みます。霧藻ヶ峰までは軽快。そこから一旦下がり、その先はアップダウン。峰をいくつか越えたところでバテました。雪道は実に歩きにくい。分かっていましたが、無雪よりも倍時間がかかる程です。しかも道は北側で雪が深い。日影が多いからです。山小屋に着いたときに言われました。「南の鴨沢ルートで来れば雪が少なかったのに」。この北側の三峰ルートは青山以外誰も歩いてはいませんでした。
何度か休みながら、峰を一つ一つ越える。午後3時に小屋到着と伝えていましたが、とても間に合わない。引き返そうかと思いましたが、ここからだと、小屋へ行くのも登山口に戻るのも距離的には同じ。小屋に(携帯)電話を入れる。谷筋では(電波の状態で)駄目でしたが、白岩山のピークでようやくつながる。「5時近くになるかもしれないが、必ず行くので」。雪の深い(最深70センチくらいある)トラバース道で、雪の上に座り込んで休憩。大ダワに到着。そして最後の登りを越え、辺りが薄暗くなった頃「雲取山荘」に到着。三峰から来たと言ったら、驚いていました。
小屋では、鴨沢口から来たお客さんが数人泊まっていました。山小屋では、冬の間、凍っているため水は使えません。部屋は個室です。コタツがあって、(雪山用)防寒服を着たまま横になりました。それでも寒い。コタツに入ったまま、家に電話を入れて無事を知らせる。
夕食後、消灯時間を尋ねると、まだ予定していたお客さんが一人来ていないとのこと。灯りをつけたまま(当然発電機も止められない)。話を聞いてみると、深夜小屋に連絡があったそうです。下の小屋にいるとのことでした。
翌日早朝。小屋の玄関が慌ただしい。下の小屋にいる人の知人らしい団体さんと小屋の人が話している。詳細は解りませんが、どうやら、昨日小屋に着けなかった方が死亡したそうです。(あくまで青山には、詳細は不明です)。その団体さんと一緒に小屋を出る。帰りは、当然雲取山山頂を越えて、歩き慣れている鴨沢に下る。山荘からの登りは、楽勝でした。一晩休んだため、疲れはまったくありません。
ほどなくして山頂到着。誰もいません。辺りは雪の峰々が続いているだけです。鴨沢方向からヘリコプターの音がパリバリと聞こえてきました。ヘリはホバーリングしています。もしかしたら下の小屋で、亡くなった方を収容しているのか?(話によると、その遭難された方は、雪の中何とか下の小屋までたどり着いたのですが、その夜小屋で亡くなったらしい)
しばらくして下山しました。アイゼンを付けているので、軽快に下れました。下の小屋に着いたときはもうヘリコプターの飛び立った後でしたが(付近にヘリポートあり)、小屋の中で恐らく管理人の方が、電話をされている様子です。
七ツ石の巻き道を越えても、雪はそこそこありました。アイゼンで足の滑りを止め、スピードをつけて一気に下ります。堂所からは登山者がぞくぞくと登ってきました。「アイゼンがないと登れませんか?」と聞かれたので、「無くても登れますが、下る時はつけていれば、このとおり速く下れます」。雪は登山口までありました。青山は無事帰宅。

写真1 雲取山山頂1   
写真2 雲取山山頂2   
写真3 山頂からの雪景色

    
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