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社会関係論


 図69「社会関係図」をご覧ください。極端な言い方で申し訳ありません。誤解しないでほしいのは、これは今現在のどこかの国の実態を言っているのではありません。すべて青山の私見です。ただし、社会は少なからずこういう傾向を持っているのでは?と思います。
以下、この図69をもとに(極端ですが)説明と私見を述べさせていただきます。お気に障りましたらご容赦のほどを。

(1)悪のトライアングル
 社会を支配している者は何か?昔からよく言われているのが、政治家と財界人、つまり大企業の経営者、そして官僚(官庁の役人)が、互いに結託して、我々庶民を支配しているという、これを「政・財・官 癒着」と言っています。別名「悪のトライアングル」。まさに、庶民を奴隷として扱い、世界征服を企む陰謀組織。極悪人の集まりのようなイメージです。それは偏見だという見方もあるでしょう。確かにそうです。
連中は俗に社会の中のトップエリートと言われていますが、個々人としてはそんなに悪い人間、と言うよりもむしろ庶民よりも心が広い。つまり血も涙もない極悪人では決してありません。(中にはそういう者もいるかもしれませんが)
ただし、そういう組織というか、機関というか、そういうところに組み込まれている(連中にしてみれば組み込まれているのではなく、支配していると思い込んでいる、が、実は社会の中の一つの駒に過ぎないことに気づいていない)と、精神に異常を来す場合もなきにしも非ず。つまり人間として正常な判断ができなくなる場合もあるのです。人間という者は、そういった地位につくとどうしても悪に染まる。悪いという自覚も消える。というわけです。
順にその特徴を見ていきます。(偏見も多少含まれる)
 @政治家・・・子供にとって最大の嘘つきは親。国民にとって最大の嘘つきは政治家です。国民をだますのが仕事。人気のあるカリスマ政治家(タレント性はあるが、頭脳が優秀とは限らない)は(無知な)国民から熱狂的に支持される。が、一旦スキャンダルを起こすと、ボロクソに叩かれる。昨日まで慕っていたのに、そうなると手のひらを返したように国民から罵られる。そう言うと代議士の先生の中には、「国のために一生懸命尽くしているのに、何で批判ばかりされなければならないのか!!」と声を荒げに文句を吐く方もいらっしゃるかもしれませんが。青山にしてみれば、「国のために何かをしてくれたなんてどうでもいいこと。この青山のために何をしてくれたんですか?」
 A官僚・・・政治家からこき使われる身分だが、頭脳は政治家よりもずっと上。支配されている振りをしながら実は政治家を操っているのかも?国民から税金を搾取するのが仕事。国民からは全く評価されていない。(立派だと思われている官僚など歴史上ゼロ) スキャンダルを起こせば、政治家同様、ボロクソに叩かれて人生終わり。ただし、民間企業にアマクダリの椅子が用意されている。今の今まで競争の中で仕事をしたことがないため、何一つ仕事ができない。毎日デスクに座っているだけのお客さん社員。ただし、肩書だけはある。そんな無能な者でも民間企業は欲しい。役所から仕事をもらうために。
 B財界人(トップ企業の経営者)・・・国民を洗脳。ただし政治家ほど表には出ない。儲け主義の権化。何かと政治に口を出すが、国民の幸せなど頭にない。自分さえ儲かればいい。今の政治について問われるが、政治については素人が偉そうにしゃべる。国民の声の代表者なんかじゃない。一国民の声なら、ホームレスのおじさんに聞くのと同じこと。根は善人かもしれないが、トップの座に永くいると、どういうわけか顔まで悪魔顔になる。財界の人間のくせに政治まで操ろうとする。政経分離が理解できない愚か者。

(2)庶民の部類
 C下請け企業・・・親会社から無理難題、わがままな要求を押し付けられてもひたすら我慢。仕事をもらうため。大企業と下請け企業は、飼い主とペットのような関係。
 Dマスコミ・・・いくら報道の自由とは言ってもスポンサーには逆らえません。コマーシャルも国民に対する洗脳の一つ。政治家の要請により偏向報道を行う?ことも。
 E反社会的勢力・・・日本でいえば暴力団、外国だとギャング団、マフィア、あるいは戦闘地域なら武装集団(過激派、テロリスト)。先進国では最も嫌われている集団。誰も関わりたくはない。ただし生き残っている(完全に消滅していない)ということは、それを必要としている者がいるのかも?暴力団は何も暴力団と分かる服装をしているわけじゃない。普通のスーツを着て民間人と変わらない格好をしている。それゆえスーツを着た人間はみな暴力団?に見える。(暴力団は腰が低いぞ。態度も小さい。そうでもしなければ生きていけない。態度がでかいのは、下っ端のチンピラだけ。)
 F宗教団体(特に新興宗教)・・・国民を洗脳する。人をだまして、あるいは脅して(信心すれば幸せになる、入会しないと地獄に落ちるなど)、信者を集め、信者からお布施という名目で金を巻き上げる。信者はだまされていることに気づかず、喜んで大金を貢ぐ。宗教団体の話はまた別途。
 G最後に我々一般庶民・・・周りの勢力から騙されたり脅されたり搾取されたりするが、その庶民も決して善人とは言えない。言ってみれば不平不満の塊。毎日行きたくもない会社に行ってつまらない仕事をこなし、上司や得意先に怒鳴られ、いつもストレスの限界。はした金でも会社から給料をもらわないと生きてはいけないからひたすら我慢。それでも毎日毎日食べていくのがやっと。ギリギリの生活。最後の最後まで貧乏人生。中には上司に胡麻を擦って出世するチャッカリ者もいるが、大抵は落ちこぼれ。それでも社畜(会社に飼われた畜生)になって会社に奉仕。その不満は家族に当たる。その結果、家庭不和。家庭崩壊。ストレス発散と自分を誤魔化すためのアルコール、ギャンブル等々遊興品、嗜好品が売れるわけ。
 また庶民は愚かな消費者でもあります。企業側の宣伝にだまされて(企業は別にだましているつもりはない。巧みに購買意欲をそそる宣伝文句に消費者が釣られているだけ)、大の大人が結果的に要らないものまで買ってしまう。思慮が乏しく、要らない物と要る物の区別がつかなくなって、欲しい物はなんでも(衝動的に)買ってしまう。
ただし、お金に余裕がある訳ではない。ギリギリの家計で生活しているため、安ければとりあえず買っておく→安心、損した気分にはならない。どうせ買うなら安いもの。
ただし、安くてもタダじゃない。わずかな値段でも、量的にたくさん買えばそれなりの出費。不足するよりも有り過ぎる方がいいという誤った考え。本当にそれは必要か?無くても何とかならないか?考える余裕すらない。
結局何のために生きているのかわからないから、こういう計画性のない購買が行われる。必要な物は高くても買う。不要な物は安くても買わない。それが基本。ただ、こういう(不要な物を欲望に任せて大量購入してしまう。欲しいものは買わないと気が済まない。そして最後には破産する)愚か者がいるせいで、経済が成り立っている?ことも言えなくはない。今の社会の経済状況が未熟である証拠。
 話の筋道が多少逸れますが、普通の庶民の生活を比較してみました。図70「良いサラリーマンと悪いサラリーマン」。あくまでパロディですので、あまりお気になさらずに。

(3)外国との関係
 H同盟国・・・日本でいえばアメリカ?表向きは友好関係を演出。実は植民地支配?決して仲たがいしないのが不思議。
 I仮想敵国・・・日本でいえば、中国?韓国?国民を洗脳して敵意を煽る。(補足1) だまされている国民は相手国に憎しみを抱く(あるいは欲求不満のはけ口を求める)。怒りを国外へ向けさせることで、国民の不平不満のはけ口を作りだす。(戦前日本がやった「鬼畜米英」政策がよい例)
以上、極端な話ばかりで人によっては不快だったかもしれませんが、社会関係論について述べさせていただきました。ご一読ありがとうございました。

■社会の中の個人
 一体全体、一人の個人の存在が社会の中で何の意味があるのでしょうか?あなたが社会に参加しているつもりでも、社会自体はあなたがいてもいなくても成り立ちます。あなたが選挙で一票を投じても、それで政治が変わるわけではありません。(一票の差なんか滅多にない) あなたがテレビのニュースを視て、社会的な事件、あるいは昨今の政治の問題、あるいはまた外交問題、世界情勢などの話題について、何やら話を聞いたとしても、それがあなたに何の関係がある?何一つ関係ない。(ごく一部の人間には関係あるかもしれないが) それは変化のない日常のつまらない世界を逃避するため、あるいは面白いことを知りたいという単なる趣味の世界でしかない。その話題を知人に話したからと言って、一体世の中の何が変わるというのだ。ただの愚痴にしか聞こえない。あなたが具体的に何らかの行動を起こして、他人に働きかけない限り、何一つ変わらないのである。意味がないなら、テレビのニュースなど視ければいい。世の中に対して何もできないくせに、単なる世間話をして時間をつぶすだけなら、他人に社会の話題を語ることなど止めてしまえ。
 勘違いしている人、特に若者、もいるかもしれませんが、人間というものは誰であろうと、社会にとって必要な人は一人もいません。例えば会社に社長は必要です。国に総理大臣は必要です。でもそれが”この人”でなければならない理由はない。誰でもいいのです。AさんがBさんに代わったからと言って、多少は違いますが、全体から言えば大した差はない。あなたはまさか自分が”選ばれた人間”だと思っていないでしょうね。それははっきり言って、うぬぼれです。そんな人間はこの世には存在しません。もしいるとしたら、一体誰が選んだのでしょうか?神ですか?そんなものはいませんよ。
仮にその人が辞めても、次のなり手はいくらでもいます。「おれは辞める!」といったところで誰も止めやしない。「どうぞどうぞご自由に」そう言われておしまい。私が辞めたら会社が困る。組織が困る。みんなが困る。なんていうのはあなたの思い上がりです。あなたが突然「今日で辞める!」と言って明日から会社に来なくなったら、一緒に仕事をしていた仲間はしばらくは困ると思いますよ。仕事のことであなたしか知らないこともたくさんあるからです。あなたがそれなりの立場なら、職場は一時的に混乱するかもしれません。ただしひと月も過ぎたら、どんな職場でも落ち着きます。あなたはそれだけの価値しかないのです。いや大企業の社長でも同じことです。嘘だと思ったら実際に辞めてみては?
社会にとっていなくてはならない人なんか、歴史上一人もいなかったといっても過言ではない。ただし、家族にとっては、その人間はなくてはならないのです。たとえば今あなたに双子の可愛い子供がいたとします。一人が悲しいことに不慮の事故で亡くなりました。あなたは悲しむでしょう。ここでもう一人いるからいいや。何て思うわけがありません。いくら似ていても、その子はあくまでその子。子供やいや家族は総理大臣のように取り換えることができないのです。
人間は大抵家族を含めた親しい関係の人から愛されています。愛する人は取り換え不可能。世間にはたくさんの人から愛されている有名人などがいますが、本当にその人を愛しているのは、極親しい家族を含めた数人だけです。人間はどんな有名人でも、同時に100人以上の人間から愛されている者はいない。世界中から愛されていると言われている人も、結局は取り換え可能な存在。家族と同じように本当に愛されているわけではないのです。なぜなら会ったこともない人を愛せますか?話をしたこともない人を愛せますか?国民から愛されている(と評判の)王様でも女王様でも、あるいは芸能界のスターでも、アイドルタレントなどとも、実際に会って話して心を通わせたわけではないでしょう。結局それは(自分の心の中で描いている)偶像(アイドル)にしか過ぎない。言ってみれば”パンダ”と同じです。

■若者不要論
 この社会にとって必要な人間になる。若者たちは周りからの期待に応えようと頑張ります。「一生懸命頑張って、社会の役に立つ人間になれ。努力すれば必ずなれる」大人たちからそう言われると、努力次第でそうなれると信じる。後々それはみんな嘘だとわかる。今若者たちは、不満です。今まで努力してきたことが無駄だったんですから。騙されたと思ったでしょう。確かに若者の中には、世間で騒がれる人間も多少はいます。しかしそれはみな例外です。誰もがなれるわけではありません。そんなこと当たり前なのですが、若者たちにはわかりません。(その例外の人間たちも社会にとっては不要。なぜならピンチヒッターはいくらでもいる。例外になれたのも、有名になれたのも、単なる偶然)
若者たちは、周りから言われるでしょう。「君じゃなくてもいいんだよ」って、「他にもなり手はいるんだから、嫌なら辞めてもいいんだよ」。社会はあなたを必要とはしていません。だってあなたがいようがいまいが関係ありませんから。世間は何もしてくれません。それが社会です。そこで不満を持つ若者たちが、暴走族に入ったり、ネオナチにのめり込んだりしながら、自分の存在をアピールする。愚かの極みです。そんな彼らを愚か者にした原因は我々大人にあるのです。彼らには真実を伝えるべきです。どれだけ努力しても、死ぬほど頑張ったとしても、社会にとって必要な人間には逆立ちしてもなれないことを。(補足2)
ただ確かに親はそう思ってはいませんが、「これはお前しかできない。お前がやらないで誰がやるんだ」ってね。だって親は「お前なんかいらない」なんて口が裂けても言えませんよ。子供を産んだ手前ね。でも世間はそう思ってはいないのです。君の代わりはいくらでもいる。君と完全に同じことができる人間は宇宙には存在しないだろう。しかし似たようなことができる人間は掃いて捨てるほどいる。君が今どれだけ世間から注目されていようと、社会は君を必要としてはいない。ただし、家族は君を必要としている。
いいじゃないですか。世間から愛されなくても、家族、あるいは友人、いや恋人でも、本当に愛してくれる人が一人でもいれば、これ以上の幸せがありますか?それをもっともっと社会全体から愛されたいなんて、贅沢もいいとこです。
世間から評価されたい。周りから認められたい。なんて若者たちの甘えとしか思えません。そんな世間から評価されている若者なんか世の中にいるの?(補足3) 我々大人たちは決してそんな若者たちを認めてはいけないのです。現実を教えるべきです。社会の中の自分の価値なんかゼロに等しいのだと。本当に若者のためを思うなら。そんな周りからの評価を気にして生きるなんて、下らないことです。それよりも人間としてやるべきことがあるのでは?
今若者は就職難です。昔のように金の卵を求める時代ではありません。自分たちを雇用しなくなった社会に対して、若者たちは不満をぶつけます。「おれたちを無視して、年寄りをいつまでも大事にしている国なんていずれ滅びる」。とまるで国を人質にとったような言い方。「別にいいよ。いいよ。国が滅んだって、とにかく君たちはいらない」。若者たちは勘違いしているようだ。あらかじめ自分たちの仕事、生活の場が与えられていると思い込んでいる。そんなものは嘘です。
しかしこのまま若者たちに不満を抱かせていたら、それは我々大人の責任です。出来る限り若者たちには活躍してもらいたい。確かに仕事もできない年寄りが未だに職場を牛耳っているのは問題です。経験を積んだ者は、その仕事を後輩に快く譲るのが人間として道。いい歳していつまでもその仕事にしがみ着いているなんてみっともない。この変化の激しい世の中では、残念ながらいくら経験豊富な年寄りよりも、新しいことを短期間で覚えることができる若者の方が重宝です。若者たちに道を開き、愛する目で見つめてあげましょうよ。(補足5)
ただ若者たちに言いたい。社会から評価されたい。周りから愛されたい。そのために如何に努力しても無駄であると。あなたがどんなに頑張っても、周りはあなたを正しくは評価してくれないでしょう。周りから認められたい。人から愛されたい。そのための努力は全て空しい。あなたがどれほどの有名人であっても、世間からどれだけもてはやされていようとも、世界中であなたの本当の姿を知っている人はわずか。逆にこの世界であなたが知っている人は極一部。あなたがどうなろうと世界は関係ありません。なぜならあなたがどれだけ有名でも、世間はあなたのことを知らないからです。だからこそ、人から愛されたいと思うより、自分が他人を愛せよ。例え相手があなたの存在に気付かなくても、あなたは隣人の幸福のために力を尽くすのです。それがあなたの人生です。

■組織論
 さて、この社会において重要な存在と言えるものが「組織」です。組織を学ぶことが、イコール社会を学ぶことと言ってもいいくらい。そこで少し組織について話します。
ただし、社会は組織だけで成り立っているわけではありません。家族は(厳密には)組織ではない。勘違いしてはいけないこととして、国家も組織ではない。そして社会も組織ではない。組織を学ぶことはとても重要ですが、組織に属することが当たり前ではないことに注意を。
青山は(このページを書く立場としては)何らかの組織に属しているわけではありません。あくまで単独者、一匹オオカミ、個人です。もちろん日常ではサラリーマンですので会社に勤めています。会社はもちろん組織です。しかし「青山筑紫」を名乗る上では、いかなる組織とも一切関係はございません。個人としての青山にとって、組織はむしろ対立すべき相手です。もし組織がこの青山をつぶそうとすれば、あくまで戦わなければならない敵です。(もちろん今はそういう状況ではありませんが) そこでこの青山にとっても、あらかじめ敵である組織の実態について調べておく必要があるかと思った次第です。
・組織を学ぶためには、現実に存在しているものを良く調べてみて、その実態を明らかにする。サンプルとして、「軍隊」、「官庁」、「労働組合」、「巨大企業」、「宗教団体」などに、できれば規模が大きい組織が参考になると思います。もしあなたが組織を学びたいなら、お勧めなのが「軍隊」です。軍隊は組織学の基礎です。(補足6)
ところで組織ってなぜ必要なのでしょうか?一人じゃ無理なことを、大勢で力を合わせて、一方向に力を向けて、一つの目的を成し遂げるためにある。ということです。でも一つの目的って何?まあいわば助け合いでしょう。人々が協力する。仲間を集めるということは、そういうことです。会社が実際そうです。いや助け合いとは限らない。会社はボランティア団体ではないのだから、働きが足りない者を皆で助けたりはしない。あくまで個人の成績が評価される。社会は実力の世界だ。もしそう言われるならわざわざ組織を作る必要なんかないでしょう。
少人数だと小さなことしかできない。大人数だとそれだけ大きなことができる。巨大な岩を動かすことも大勢でかかれば可能。
さて、何のために岩を動かすのでしょう。その「大きなこと」って何ですか?
・・・
答えを言いましょう。もし大勢の人を集めて大きな事をすると言った時、それが助け合い(公共の福祉)・弱者の救済ではないのなら、それは「戦争」です。戦争とまではいかなくても、他者との戦いです。敵から攻撃を受けたら戦わなければならない。あるいは競争に勝つために人数を増やす。組織を作るというのはそういうことなのです。他に目的がありますか?
だから青山は組織が嫌いなのです。ただし、戦い以外で組織を作って人々が協力し合う目的が一つだけあります。できるだけ大勢、できれば世界中の人に協力してもらいたいことがあります。それは平和を維持すること。平和というものは、自分、あるいは自分たち(自分の国)だけが、どれほど努力したところで実現できるものではありません。確かに世界平和は自分一人ではどうにもならない。世界中の人が平和を守りたいと言って協力し合えば、その一点に全ての力を注ぎこむことができれば、世界中のどこにおいても戦争を起こすことなどあり得ません。
・最後に組織にもいろいろあります。比較のために、青山が理想とする自由な組織としてこれからの企業(特に利益だけを追求せず、社会のニーズに応えるNPO、NGO等)と、これからも上意下達のピラミッド型組織である官庁とを比較してみました。図71「公官庁と私企業(NPO、NGO)との比較」参照。ここでは特に官庁よりも私企業の方が優れているような書き方ですが、決してそうではないと思っています。自由にやりたいことができない公官庁でも立派な組織です。それが法律に則って実効的に事業を推進し、公の場で責任を果たしているからこそ、国民は安心して生活ができるのです。
社会にあって組織はなくてはならない存在です。ただし個人が組織に依存する。組織にしがみつくようでは、組織なんかない方がいい。。組織の中にあっても主体性を持って生きていく。それができなければ社会人とは言えません。(補足7)

■エリートと大衆
 一部のエリートと大多数の大衆。よく言われるように、少数のエリートが圧倒的数の大衆を支配している。なんてそんなことはありえないと思います。社会を左右しているのはあくまで大衆。一部のエリートが何を叫ぼうが、大衆から「ノー!」といわれれば引き下がるしかない。支配者層からすれば一人一人の庶民なんかちっとも怖くない。恐れるに値しない。ただし庶民が集団となれば、国王でも大統領でも恐れおののくでしょう。国民から、「お前なんかやめろ!!」と言われれば従うしかない。絶対専制君主であっても国民の少なくても半数から支持されなければ、ただの俗物。常に国民の顔色を伺うことを強いられるのです。
ただし、大衆一人ひとりは弱い。一人では何もできません。しかし周りは周り。自分は自分。ただ生き残りたいから、ただ楽しみたいから、思慮なく周りに合わせるだけの生き方を改めて、自分として主体的に生きることはできと思います。そのとき自分に問うことが「何のために生きるのか?」です。これは他の動物には答えることができない人間ならではの問いです。
これを下らない質問、答えの出ない質問だと決めてかかり、そんなことを思い悩むより、目先の食べ物に食らいつく、犬や猫のような生き方を選択すれば、それこそエリートに身も心も支配されるでしょう。人間になりましょうよ。
「何のために生きるのか」これに答えられるか答えられないかによって、人間なのか犬猫なのかが決定されるのです。

■権力構造・支配構造
 現代の権力構造は、たった一人の権力者がすべてを支配するなんてことはありえない。ただしエリートたちは大衆を管理すべく、図69「社会関係図」(支配構造図)で示したような支配構造を持っています。社会の中枢は、巨大組織(または組織連合)です。政府や自治体の連合、大企業の連合体。例えば大企業が集まる団体(経済団体)があります。その連合体は政治に圧力を加える上で機能します。どの企業も生き残りたいため、その連合組織の傘下に入ります。その為企業は競争よりも協調を重視するのです。そして連合体を束ねる事務局的存在ができます。所属する有力な企業の経営幹部がその構成員です。やがてその事務局集団が、単なる事務局を超えて、強大な権限の元所属企業を束ねる。規約を作って従わせる。全企業に命令を下す。各企業は逆らえません。つまり企業は協調姿勢から従順姿勢に移行せざるを得ない。反発すれば仲間外れに(建前上は自主離脱、実は追放)されますからね。それだけは死んでも避けたいのです。その事務局集団も大組織です。その上のトップは経営幹部が集まる超エリート集団。連中があらゆることを決めるのです。エリート集団の構成員は、人数的には数十名程度、地位的には皆ほぼ対等であり、力関係にあまり差はありません。このごく少数のエリートたちが社会を、国を、世界を支配する構造です。
そしてこの超エリート集団は表に出ることがない。表に出ている人間、例えば、今世間で注目を浴びている(右派でも左派でも)論客、カリスマ的(若手)起業家、あるいは熱狂的な支持を得ている政治的指導者(大統領、首相)、更に国民に人気の王室・皇室なども皆、この少数エリートに利用されているのです。利用できるうちは大いに利用する。利用できなくなれば手放すのです。何の権限で従わせるのか、無論お金の力です。エリート集団は彼らを従わせるために莫大な資金力を常に持っています。論客の中には、自分が利用されていることを承知の上でやっている者もいるかもしれません。彼らはエリートたちから見放されないように、(常に大衆に迎合されるように)自分の思想とは正反対なことでも話すのです。(つまり本当は”論も主体性”もない)
ここで覚えておきたいこと。片やお金がないけれども、才能や技術を持っている、あるいは努力家たち。と、片やそれほど飛びぬけた頭脳を持っているわけではないが、資金力は豊富なエリート集団。果たしてどっちが主で、どっちが従でしょうか?無論エリート集団です。お金がある方が勝るのです。そのエリート集団の特徴は、決してワンマン、独裁者を置かないこと。集団内に全体を引っ張る突出したリーダーなどいません。集団はある程度の人数を要し、彼らは皆平等で互いに敬意を払っています。集団内は共通の目的のために、(最終的には)協調するのです。そして表に出ないこと。
しかしこのエリート連中も所詮は哺乳動物です。その行動、その心理は分析可能です。では、なぜ彼らエリート集団は大衆を支配(または管理)しようとするのでしょう?誤解しないでください。彼らの目的は、自分たちの金儲けのためではありません。社会の秩序を増進させるためです。ひいては世界平和のため。さらには人類の存続のためです。すべてはそのための資金(金集め)なのです。つまり彼らは平和主義者であること。
ただし、彼らの思惑が常にうまくいくとは限らない?この支配者集団も馬鹿ではありません。大衆の完全支配など所詮不可能であることは解っているでしょう。(自分たちの努力が足らずに)仮に人類が滅亡しても、それはそれでやむを得ないことを知っている?かもしれません。

■騙し合いの世界
 大衆を欺き人々を洗脳する権力者たち。しかし騙しているのは政府、権力者、大企業だけとは限りません。社会の大部分を占める一般庶民の一人一人も互いに騙し合っているのです。人々は自分が他人を騙しているという自覚はありません。日常的に他人とコミュニケーションを取る中、相手に何の罪悪感もなしに嘘をついている(嘘とまではいかなくても、言葉の表現によって相手を自分の意図する方向に無意識的に誘導している。あるいは話を聞い者が単に勘違いしている場合もあり)。騙された者はそれを真実と思い込み、さらに別の誰かにそれを伝える。その際人から聞いた嘘に加えてそこに自分オリジナルの嘘を少し混ぜ込むのです。それを聞いたまた別の人間がそこに嘘を混ぜて、さらに他人に伝える。そうしてそれが次々に伝わって、嘘はさらに大きくなります。騙した者も必ず誰かに騙されているのです。騙した大元などありません。政府首脳も権力者さえも誰かに騙されているのです。こうして嘘は社会を循環して、もしかしたらまた自分に戻ってくるかもしれない。そこで相手から聞いた嘘が、実は以前自分がついた嘘なのかもしれません。すなわち自分がついた嘘に自分が騙されるという仕組み。これがこの社会です。(生まれたばかりの子供は恐らく嘘はつかないと思いますが)
こういう社会に生きる我々は、騙されないためにも、あるいは誤った思い込みに陥らないためにも、真実を見極める科学的態度こそが必要です。

(補足1) 政治的な事情により相手国と対立しているからといって、相手の国民すべてが嫌いというわけではないと思います。たとえば今日本と中国は仲が悪いけれど、個人的には中国人にも嫌いな人間はいるし、好きな人間もいる。同じ日本人でも好きな日本人は当然いるし、嫌〜いな日本人もいる。ただそれだけのことです。青山としては同じ国だから、自分の生まれた国の人間、だから”仲間だ”という意識はまったくありません。大体中国人、韓国人、北朝鮮人、そして日本人は顔も文化もよく似ている。ともに儒教国家だし。欧米から見れば兄弟のように思えるのでは?

(補足2) 若者の中には、政治権力に媚びへつらう者、現政権の親衛隊になる者も、いるらしい。それで政治に参加しているという幻想を抱かせている。例の「悪のトライアングル」は、そういった若者の心理を言葉たくみに誘導して、操ろうとしているようだ。連中にとって利用された若者は使い捨ての駒に過ぎない。そのことに若者たちは気づいていないことも悲劇である。
若者に限らず、最近顕著な世の大衆の愚かしいところ。政治的にまったく無縁、社会とかかわりを持たず、一人山奥に住んでいるのなら問題はない。しかし現実には生活のために社会と関わらざるを得ない。そのために社会に(あるいは政治にも)多少なりとも関心を持つ。しかし社会の中で自分はゼロに等しい存在である。ただし社会に影響を与えたい(注目されたい、存在価値を認められたい)という願望だけはある。そこで最近よくある、自分は何もしていないくせに、社会の動きに対してネット上でしかも匿名で筋のない評論だけ行う輩。奴らは社会運動に対して冷ややかあるいはバカにしたような、ときには哀れんだ言動で批判を行う。(ただ文句を言うだけしかできない連中の方がよほど哀れだと思うが) 「そんなことをしても無駄だ。愚かだ」と言う具合にね。しかも姿勢は体制よりである。体制のおこぼれを期待しているのか?それとも体制ににらまれるのを恐れているのか?いずれにしても存在価値はゼロですな。

(補足3) たまに若者でも、成功を手に入れた者、世間から注目を浴びている者とかいますが、その”成功”は偶然でしょう。(補足4) 否、「偶然ではない!努力だ!」と反論するかもしれませんが、”努力”とは(勘違いされているかもしれませんが)”質”ではなく”量”です。すなわち経験なんです。やはり成功とは、若いうちに苦労を重ねて、年月を経てから得るものだと思います。

(補足4) 世間や周りの大人たちは若者たちを欺くために、あるいは彼らの不満をそらすために、世の中には、若い人の中にもこんな成功した者もいる。あるいは貧しくても勝利を掴んだ者もいる。と若者であるあなたをおだてるのです。この成功した人物は万人に一人も当てはまらない例外中の例外です。そこにあなたが該当する可能性ははっきり言ってゼロに等しい。今世間で注目を浴びている彼ら成功を得た者たちは、いわば社会のパンダに等しいのです。
無論青山だって社会の中では取るに足らない存在、小物だと思っています。しかしそれでいいではないですか?なぜなら、社会の中でどれほどの成果を上げた人間でも、所詮は”取るに足らない”存在ですから。

(補足5) 最近、若者たちの中に、型にはまった生き方を嫌い、普通のサラリーマンを敬遠して、自分で起業する者が増えているということです。しかし起業なんて簡単にできるものではありません。自分の能力を過信して一発賭けに出るようなら、その大半は人生を無駄に過ごす結果になるような気がします。まあ、失敗もいい経験だと割り切れる覚悟があるなら良いですが。もちろん起業するのも何をするのも人生ですから自由です。ただ、画一的な学校の教育になじめず、レールに乗った生き方に疑問を感じ、型を抜け出して、自分の才能(個性)を伸ばしたい。だから周りと同じような生き方を選択しない。やりたいことをやる。窮屈な組織の中に留まるのはご免だ。なんだかわがままのようにも聞こえますが。いいですか?恐らく、誰もあなたを評価などしてくれませんよ。自分には才能がある、あるいは自分は選ばれた特別なエリート、なんて単なるうぬぼれじゃないかと思います。
よく考えてみて下さい。組織にいるから生活が守られる。生活が守られるから、やりたいことができるのではないでしょうか?食うや食わずの状態では、食べることが精一杯で、好きなことをやろうなんて余裕は全くありません。会社にいれば当然やりたい仕事を与えられるとは限らない。不満はあります。しかし何であれ仕事を与えられること自体が幸せではないでしょうか?与えられた仕事が何にせよ、自分なりに工夫して、できる限りその仕事を楽しくこなす。会社にいれば、少なくても起業よりも生活は安定します。(その仕事は自分が楽しければいいのであって、会社の評価など気にしない)
人によっては型ははまるのは嫌かもしれません。例えば学校教育。ただし青山としては御膳立てを与えてくれるだけで、ありがたいと思います。何も学校教育の中で成績を競う必要はない。勉強でも合う合わないは当然あります。合わなければ落ちこぼれでもいいのです。人と自分を比べる必要はない。落ちこぼれだといい評価は得られませんが、しかし評価など気にしなければいいのです。
組織にいても、政治批判はできる。社会活動もできます。できる範囲でやりたいこともできるでしょう。まじめに仕事をして、堅実に貯蓄をしていけば、贅沢はできなくても何とか生きていくことは可能です。しかも余裕を持って。その上でやりたいことをすればいいかと。起業のようなリスクの高いことをするよりも、その方が幸福では?起業で成功を手にした若者たちも確かにいます。しかし青山から見れば、彼らが幸福とは思えません。そうは言っても起業するのは自由ですが。

 特に若者の思考として、世の中には価値がある人間と価値のない人間の二通りがいると思い込んでいる。愚かです。価値ある人間なんかどこにいる?生きていること、生まれてきたことに価値がある人間などこの世に一人もいません。つまり誰であろうと生まれてこなくてもよかったんです。あなただけじゃない。全人類、例外なく一人一人です。親は当然生まれてきた子供に対して”価値がない”なんて産んだ手前口が裂けさても言えないでしょう。親は子供に価値ある人間になれと教えますが、そんなことは逆立ちしても不可能でしょう。しかし若者たちはこんな親や周りの大人たちの言葉に騙されて一生懸命頑張るのです。しかし大半は挫折します。ごく一部だけ偶々成功する。世の注目を浴びるのです。しかしそれはあくまで運です。実力ではありません。「自分は価値のない人間だ」と失望した若者たちはやる気を失い人生を投げやりに過ごす。その隙を狙って若者たちの不満を巧みに取り込もうとするのが”宗教”です。若者たちはそれに誘導されて、さらに騙される。ひいてはイスラム原理主義教団のようにテロリストにされる。宗教の話はまた別途。

(補足6) 組織学の基礎として、国防軍の組織構成について、概要を説明します。軍という最も統制が求められる組織について、戦時ではなく平時(平和な状態)を基本とした組織のあり方のポイントを示しました。図72「国防軍の組織体制」をご覧下さい。因みにモデルは「旧日本軍」です。

(補足7) 青山個人としては、現在大企業??に務めている精か、組織というものが余り好きではありません。個人的には組織の中にいる人間で、立派な人にはお目にかかったことがない。それだけ組織人には魅力が感じられないのかもしれません。(あくまで個人の思いでした。)
さらに言うと、国家官僚などもともとは優秀な人材であるにもかかわらず、省庁という組織に組み込まれた途端自立心を失う。組織の中の個人を組織全体で庇い合う様はみっともないとしか言いようがない。民間でもありえないようなことを国の機関がするなんて情けない限り。組織は人を弱くするのです。組織の中にあって真に強い人間など今までに見たことがありません。

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