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税金制度


 金がなければ政府は何もできません。何もできなければ政府は不要です。だから国民から税金を頂くのです。
「○○の会」だったら会費を徴収するのと同じです。ただし一定額のお金(同額の会費)を取るわけにはいきません。徴税の考え方は、(資産を)持っている者から取る。持っていない者からは取らない。と言うより取れないのです。
「○○の会」では会費を払えないなら、会を辞めるしかない。(好意的な会なら猶予を与えてくれるでしょうが) しかし税金の場合、払えないなら国から出て行けなんて口が裂けても言えません。なぜなら人間はみな自分の意思で、(この国に)生まれてきたわけじゃないから。自分の意思なら自分の責任ですけど。そんなことがあるわけないですよね。
ただし、何一つ(資産を)持っていないことなど有り得ないと思います。生きていくためには最低限の資産を持っているはずですから。その中からわずかでも出す。それ以上取られたら生活していけないというギリギリのところまで。もしくは金がないなら、労働して償うということ。
しかし現実問題、働けない者(病気などで働きたくても働けない)もいるし、今所有している金がまるまるあってもそれだけでは生活していくこと自体不可能という
困窮者も多々いることから、むずかしい問題です。
これには行政の責任もあると思います。国が行う福祉とは国民に幸せを与えることではなく、国民が自分の力で幸福を得られるように最低限の支援を行うことにあるので、働きたくても働けない人に何とか働けるようにすることが国の務めだと言えます。

■累進課税制度
 基本的には税は持っている人から取る。より持っている人にはより多く取る。少ない人からはあまり取らない。(補足1)
何か不公平だと思いませんか?同じ国民なのに払う金額が違うなんて、それでいて国から与えられる権利は平等です。特にたくさん金を稼ぐ高所得者はこの制度が不満らしい。青山のような貧乏人からすれば関係ない話ですが。
この支払う税金が一定ではないという税制度においても、定率課税制度(税率が収入等が増えても変わらない)と累進課税制度(収入等が増えれば税率も上がる)の二つがあり、所得税や贈与税、相続税などは、多くの国でこの累進課税制度が採用されています。(税金にもいろいろあります。所得税とか消費税とか、それぞれの税のあり方、考え方を図66「租税論」にまとめました) (補足3)
経済評論家の中には、この累進課税制度に疑問を持ったり、反対したりしている人がいるようです。どうもこの制度の必要な理由がわからないらしい。そんな頭脳でよく経済について語れると思いますが、ではここで、経済についてまったくのド素人の青山が説明しましょう。
高所得者たちの中には、自分が働いて得た金をなぜ国に払わなければならないんだと文句を言っている人も少なからずいますが、そんなに税金を払いたくなければ、低所得者になればいいじゃないのって。たくさん稼いでたくさん払うのも、少ししか稼がなくて少しだけ税金を払うのも、そのどちらを選ぶのもあなたの自由です。他人からこうしろなんて言われる筋合いはない。(補足4)
ただし、儲けたのにそれ相当の税金を払わないのなら、それは脱税という罪です。
さらに言えば、あなた(高額所得者)がそれだけ儲けたのも、あるいは長者番付に名を連ねたのも単なる"運"なんだから。(補足5)
「いや、わたしの実力だ!努力だ!汗だ!運なんかじゃない!!」なんて反論するかもしれませんが、そんなことは、あなたの思い上がりだと断言して言えます。
よく聞いてくださいよ。
もし青山が一日6時間働いて、月に20日勤務して、給料10万円をもらえたとします。それに対してあなたは一日12時間働いたとします。同じく月に20日勤務して、給料は倍の20万円。倍働いているんだから給料も倍もらえて当然。それに対して青山は一切文句を言うつもりはありません。
しかし、もしも同じく月に20日勤務して、給料は10倍の100万円もらえたとしたら、単純に計算して一日60時間働いたことになる。一日は24時間しかないのに・・・??
こんな話をすると、それは「仕事の質が違うからだ」と笑いながら言うかもしれませんが、ではなぜ質の違いが生じたのでしょうか?
それは結局は市場における需要と供給の関係でしょう。市場は個人が支配できませんよ。売り手つまり会社側の需要で決まります。
あなたはこう言い放つかもしれません。
「会社のニーズを的確に判断した結果、質の高い仕事をしたのだから、それ相当の報酬を得るのは当然。こちらは毎日勉強している。仕事中もたえず先先を読んで事前に準備を行い、無駄なく仕事に取り組んでいる。だからビジネスで成功して高い報酬を得ているのだ。青山ごとき勉強一つせず、だらだらと仕事をしている輩と一緒にするな!」とご立腹の様子。(補足6)
勉強している時間も勤務時間としてカウントすれば、青山より給料が高いのは認めます。ただしそれだって10倍はおかしな話です。一日(60-12=)48時間も勉強していることになりますからね。あなたが効率的に仕事をこなす才能を身につけたのも単なる偶然ですよ。あなたがある分野の知識を得た。その知識を今の市場で生かせているだけでしょう。青山が得た他の知識(それは遊びの知識かもしれない)はたまたま役に立たなかったのです。それも市場が左右することでしょう。この自由経済社会では所得格差が出るのは当たり前。それを税金で埋めるのです。これが本当の公平性です。
これでわかりましたか?まだわからない?あなたの頭脳では・・・・要するにどういう理屈をつけようとも、あなたの得た実力は単なる運なのです。(運、つまり偶然の要素は、報酬が多ければ多いほど大きい) 運によって得られた報酬には高い税率をかける。これって当然のことでしょう。つまり収入と努力は比例しない。当たり前です。(補足7)
世間ではよく注目されている有名人、売り上げを伸ばしている起業家、あるいはスポーツ界で活躍している有名選手などが、「自分の実力で得た金を何に使おうと自由じゃないか。その自分の金を税金なんかに取られてたまるか!」と文句を言っている愚か者がいますが、自分の実力なんて大ウソてです。もちろん税金を支払った上で、手元に残ったお金は、何に使おうとあなたの自由てすよ。その点に関して他人から非難される筋合いはない。ただし、人より何倍も税金を取られることに対して不満なら、稼ぐのを止めたらどうですか?それに関しても人から文句を言われる筋合いはありませんから。
あなたは騙されています。努力したのだからそれなりの報酬を得るのは当たり前。ではありません。お金持ちは決して努力家ではない。単なる運です。努力には限界がありますが、富に限界はありません。
ただし、先ほど例として挙げた青山の倍、つまり12時間働いた人に対しては、たとえ青山の倍の報酬を得たとしても、その頑張りに報いるために、青山と同じ税率を適用するのが筋だと思います。つまり量的にたくさん働いて報酬を得た者に対しては、固定税率を適用するなど配慮が必要です。そうでないと頑張った甲斐がありませんからね。
ただし、多額納税者の方が国に対する貢献度が高いから、政治的権限が上(例えば選挙の票数が多い)。なんてことは間違ってもあってはならないのです。よく無能な政治家が、実業界のトップの意見を聞いて政治(あるいは外交)を進めるなんてことをしているようだが、大企業の経営者から意見を聞くのも、町のホームレスから意見を聞くのも、一国民の意見としては同じです。産業界のバカは、会社経営あるいは金儲けに関しては天才かもしれないが、政治についてはまったくの素人。もし税金の額で国民の権利が異なるようになったら、その国は崩壊です。

 あなたがもし今所得が少なかったとしても恥じる必要はありませんよ。同じ国民でありながら、たくさん税金を支払っている高額納税者に申し訳ないなんて余計な話です。国に支払う税金が少ないことに対して自分を卑下しているとしたら、それは間違いです。高所得者がより多く支払うのは当然だからです。高額所得者は、たくさん税金を支払うことを自ら選択したのです。彼らがあなたよりも高額な税を納めることによって、あなたが受ける行政サービスが増したからといって、高額納税者に感謝する必要はありません。彼らは沢山稼いで沢山の税金を支払う。あるいはあまり稼がず税もわずかしか払わない。この二つの内、誰に命令されたわけでもないのに前者を自分で選んだのですから。
もしあなたが将来高額所得者になれば、税金を多く払わなければならないでしょうが、そのときのためにこの税制度の改定を望んでいるとしたら、それは余計な心配です。なぜなら、あなたが将来高額所得者になる可能性はほとんどゼロに近いから。
ただし、あなたのように真面目に税金を支払っている人が声を大にして言えることがあります。金を持っているくせに、姑息な手を使って税金逃れしている悪党どもは絶対に許すな!と。

 最後にまとめると、経済と税金に対するこの青山の考え方は、経済活動は全くの自由であり、個人がどれだけ儲けてもいい。ただし、儲けた者は儲けていない者よりもより多くの税を支払うこと。税金を多く支払ったからと言って政治に口出しする力はあくまで一個人としてみなされる。なぜなら、儲けたのはただの偶然に過ぎない。(これには愚か者は異論が有るかもしれないが、)

(補足1) 日本では、収入がある限度以下の場合、税金を払わなくてもいいのです。たとえば家庭の主婦のパータイマーやアルバイなど。税金を払わないギリギリの収入以上はわざと働かないようにしているのです。年間の収入が少ないなら支払う税金もわずか。ならばそれからほんのわずかの税を徴収する役所の方も(手続きが)面倒です。
しかし国民である以上1円でもいいから税を払わせないと義務を果たしたことになりません。まったく払わなくていいとなると、国民としての自覚もなくなりますからね。
収入が全くない者は別ですが、イエス(イエス=キリスト)の言うとおり、貧しくてもほんのわずか(1円)でも、出せるだけは出す努力をする。(補足2) つまり、収入が少ない者からは少ないなりに取る。子供や専業主婦は別ですが、すべての国民は何らかの金を国に収めるという形が筋にあっていると思いますが。

(補足2) 神殿に財を捧げる大勢の金持ちと、一人の貧しい女を見てイエスは言った。「実のところ、あの女こそは誰よりも多く献金したのだよ。金持ちたちはあり余る中かわずかしか献金しなかったが、女はわずかの金すべてを捧げたのだから」(マルコによる福音書、ルカによる福音書)

(補足3) 所得税は累進課税制度ですが法人税は一定の税率です。個人がそんなに使う金なんてありませんから、第一買うものがありません。あなたの年収がもし1兆円だったらと想像してみてください。それは願ってもない幸せかもしれませんが、それでいったい何を買うの?金があったからといって幸せを買えるわけじゃないよ。それらすべてを貯蓄にされたら経済的価値はゼロですからね。
法人、特に企業の場合、儲かったら儲かっただけ次の投資に使えます。それが(社会全体の)産業の発展につながるのです。
つまり所得税と法人税は質が異なるのです。その区別を理解せず、たとえば社長が会社の車をプライベートに使っていたら、それこそ明日から独房に入ってもらわないと。(たとえ1円でも会社のお金を個人的なことに使えば、それは脱税と言う立派な罪です。脱税こそ国家に対する最大の犯罪です) 企業は個人の所有じゃありませんよ。個人のように、儲けようが儲けまいが会社の勝手、余計なお世話だ。は通用しません。法人である以上、社長の自由にはできないのです。それが嫌なら法人を止めてあくまで一人経営に戻ったら。その場合は得たお金は所得税として扱われます。実質個人経営なのに税金逃れをしたいがために、法人を名乗ることは許されない。法人は一人では成り立たないのです。二人以上いれば当然一人が経営権を握ることはできない。複数人によって経営される法人だからこそ累進課税制度が免除されているのです。(だから法人税は下げても構わないと思います。ただし本当に公私の区別がついているならね)
あと資産税。それも個人所有の物と法人所有の物があります。法人の場合は固定税率でいいと思いますが、個人所有は、累進課税制度がいいでしょう。なぜなら使わないのに持っているだけの莫大な資産、たとえば広大な土地などは、個人のもとにあっても社会のためには何のメリットもないからです。高い税率を掛けて手放してもらう、もしくは運用してもらう。そうすれば社会全体に還元されるのです。

(補足4) でも官庁の役人してみれば自分たちの給料が少なくなるゆえに、「あなたは商才があるのだから、もっと稼ぎましょうよ」とかなんとか言って高額所得者をおだてるかもしれない。

(補足5) 多額納税者の方へ。あなたが儲かったのはあなたの実力ではありません。単なる偶然です。だからあなたには沢山の税を収める義務があります。税金を払いたくなければ儲けなければいいだけです。むろん儲ける儲けないはあなたの自由です。そう言われると、あなたは怒りを込めて反論するかもしれない。俺がこれだけ儲けるためにどれだけ苦労したか!お前にその苦労が分かるか!
分かりません。分かりたくもない。もしあなたが一般の庶民よりも沢山の税金を支払っていることに対して、”特別な権利または優遇措置”を要求するとしたら、あなたはただの愚か者だ。競争に勝つだけの金の亡者だ。卑しい人間だ。いったいあなたは何のために儲けたのですか?単なる欲望ですか?だったらただ本能で生きる獣と同じですね。あなたはこれだけ稼ぐのに死ぬ思いで一生懸命頑張ったかもしれない。しかし青山から見ればあなたはただの馬鹿者です。人間はただ頑張る。必死になるだけでは駄目なのです。何のために頑張るのか?人間としての儲ける理由がなければ。むろん青山は面倒向かってあなた個人を非難しない。儲けるのも自由だからね。ただし心の中では、あくまで青山個人としてそう思っています。
高額所得者を非難すると、こう反論する人たちがいます。「この資本主義の世の中において公平なルールに基づいて競争に勝ちえた者を”金の亡者だ”と非難するのは許せない。彼らは我々よりも多く税を支払っているのだから」。そう向きになって反発する。このように高額所得者を擁護するわけです。あなたが彼らを称賛するのは自由ですが、お伺いしたいのは、この世に公平なルールなどあるでしょうか?そんなものは幻想に過ぎない。一つのルールが、ある人には有利、ある人には不利になるのです。まるで人間は生まれたときから、一定のルールのもと競争を強いられているかのようだ。人は誰しも好きでこんな競争社会に生まれてきた訳じゃないのに。(この件については後述)

(補足6) 頑張って稼いでも、税金で取られる分が多いなら、稼いでいる人の仕事のやる気、すなわちモチベーションが下がる。「それはわが国の経済にとってもマイナスだ」なんて、余計なお世話だ!モチベーションが上がろうが下がろうがそんなこと知るか!稼ぐ稼がないかは個人の勝手です。

(補足7) 他にもこういう考え方があります。莫大な財産を保有する者が、それを他人に貸し付けて利子を取る。いわゆる金融業で儲ける話。当然金を貸し付けるにしても手間がかかります。ただ相手の言うがままポンと貸し与えるわけではなく、返済能力、有効性を見極めて、貸し手に返済能力があるかないか見極める。それを怠ると自分も相手も損をすることになります。それは社会における損失に等しいのです。社会的損失を出さず自分も相手も得をする(貸し手はお金に困っている人に喜んでもらえて嬉しい。借り手は助けてくれてありがとう)にはそれなりの労力が必要です。従ってそこに報酬が支払われるのも正当です。
ただし、一般には貸した金額によって利子の額も比例的に上がります。(例えば金利10パーセント) その利子が貸し手の強い立場を利用して、不当に値を上げさせることもできます。すると
 {お金を貸し与えるために必要な労働(作業・手間)量}={利子の額}
に必ずしもならない。否、むしろ大金を貸せば貸すほど、つまり莫大な資金を保有しているほど儲けが出る。それは「労働に対する正当な報酬」と言う原則に反します。大量にお金を貸せば貸すほど、労働力に比例せずに儲かるという訳です。つまり金持ちは不当に利益を上げているということです。
この”利子を取る”ということが不当かどうかは何とも言えませんが、イスラム教(コーランに記載されている)を初めとする多くの宗教で、「利子を取ってはならない」と戒めているのは、{労働量}≠{対価}という不都合があるためです。その矛盾、弊害を解消し少しでも平等な社会を実現するための仕組みが、公的機関による”累進課税制度”(稼いだ者から多く取る)なのです。お分かりですか?

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