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地球と宇宙


 地球について

 学校の先生が言ってました「我々が立っている大地は丸い球体だ、これを地球と言う。太陽や星が動いているのではなくこの地球が回転している」あなたはそれを信じますか?大地が丸いなんて信じられますか?丸かったら横にいる人たちは、滑り落ちてしまわないでしょうか?大地が動いているなんて信じられません。だって山も川も家々もみな一緒に動いているなんて。(補足1)
それが普通の考え方です。あなたは大地が丸いことを確かめたんですか?大地が動いているなんてことが、どうして解ったんですか?先生だって常に正しいとは限りません。
この青山も、「証拠を出せ」といわれたら困ります。「そう学校で教わりました」では回答になっていません。それが嘘じゃないと断言できませんから。
科学をする者の基本姿勢は、人の言ったことをただ鵜呑みにしない。それが親であろうと先生であろうと。自分自身で確かめることが大事です。
ただ青山も子供の頃はわかりませんでした。でも大人になって初めて海外に出かけたとき、おかしなことに気づいたのです。時計の針が昼の12時なのに、空が真っ暗、夜なんです。そんなことがあっていいでしょうか?その場所は、アメリカのロサンゼルスでした。
たまたま日常生活を離れて、今まで住んでいた町の外に初めて出てみた。そして遠方に出かけた。そのとき、これまで当たり前だと思っていた自分の常識に疑いをもった。今まで気づかなかったことに気づいた。新しいことを発見した。
このように昔の人たちは次第に世界の真の姿を知るようになったのです。
この大地は地球という球体である。そして地球は自転しており、太陽や星が回転しているように見えるが、動いているのは地球の方。そして地球は、火星や木星などの惑星とともに太陽の周りを回っている。夜空の星々は光の速さで行っても何年もかかるほどとても遠方に存在する。そして太陽が何千億も集まって銀河系というものを作っている。その銀河系も宇宙には無数に存在する。つまり我々の生きている世界がどれだけ広大かがわかったのです。今から1000年前に生きていた人には想像もできないでしょうね。釈迦やキリストだって、宇宙の広大さは知らなかったはずです。我々は彼らよりずっと賢いのかも知れません?
それはともかく、あなたに知ってほしいことがあります。それはこの宇宙がどれほど広大なのかです。ぜひ、自分自身で(インターネットを使って)調べてみてください。その広大さは、時間的にも空間的にも、我々の常識を超えています。まさに永遠といっていいくらい。宇宙を一言でいえば、それは「我々が知りえるもののすべて」です。

(補足1) 「大地は丸い」というのは確かに思い込みでしょう。調べてもいないのに、そう確信を持つのはよろしくない。誤った確信は偏見につながります。見た目だけで、あるいは噂だけで信じる。「女性は男性よりも能力的に劣っている」、「大地は平面状で世界の果てには滝がある」、「人類は宇宙人による遺伝子操作によって造られた」。これらを嘘と決めつけてはいけません。でも、本当か???
大地が球体であることは既に紀元前には分かっていました。有名な話。今から2200年前、アレクサンドリア(今のエジプトの都市)の科学者エラトステネスが地球の大きさを計算しています。アレクサンドリアとその真南にあるシエネの町では、夏至の日の正午にできる影の長さが異なっていました。(シエネは調度北回帰線上にあった) 同じ日の同じ時刻、二つの町での太陽の傾きの違いと、その二地点の距離から地球の大きさを計算したのです。それは測定技術が現在とは比べ物にならない古代にあっても驚くべき程正確であったのです。エラトステネスは即ちイエスキリストよりも古いのです。後の人間であるイエスは(恐らく)、(現代なら小学生でも知っている)大地が丸いことすら知らなかった?(神の子なのに)
この何が凄いかって?何百キロも離れた場所との距離を正確に測ったこと。当時だからもちろん歩いて測りました。今何歩?532,867歩!532,868歩!532,869歩!と口で唱えながら、何日もかけて歩くのです。途中で間違えたら最初からやり直しです。歩幅も同じようにして歩かなければなりません。101歩目と100,001歩目が正確に50センチ?でなければ誤差が出ます。1ミリも違ってはいけません。正確に歩幅を変えずに歩く。その技を習得する(訓練)ためには何十年もかかったことでしょう。(補足2) 科学とはまさに汗と努力です。
現代でも大地は平面であると信じている人たちがいます。(この考え方を地球平面説という) 大地は丸い。それが正しいかどうかは自分で確かめるしかありません。生まれてから死ぬまで何十年、一生の間に自分の住まいから数キロ程度しか出歩いたことがなければ(生活範囲が半径数キロメートルなら)なかなか分かりません。
でも、もし現代の正確な時計を持っていたとして、二つの離れた島に暮らす友人同士が、同じ日にそれぞれ太陽が水平線に沈む時刻が1秒違ったら、「なぜだ!!」と疑問を持つはずです。1秒なんて誤差だ。と思い、もはや確かめようとはしなかった人は、死ぬまで地球平面説を信じることになります。誤差かもしれないけど、何か理由があるのかもしれない。明日も(明後日も)また調べてみよう。そう思った人は、この地球の大きさを知ることができる。かもしれないのです。

 現代の我々はエラトステネスのいた古代と違って驚くほど膨大な情報に囲まれています。その中には嘘、インチキ、フェイクもあるでしょう。それらを一々調べて確かめている時間的余裕はありません。しかし鵜呑みにする。信じ込むことがどれだけ危険か?ほんの少しでも疑問を感じたら、捨てずに心の隅にでも留めておく。できれば、思い出したときに自分で確かめてみる。現代も古代と同じ。否それ以上に自分自身が納得するまで確かめてみる姿勢が重要です。

(補足2) もちろんエラトステネス自身が歩いたわけではありません。この話も一つの”伝説”です。すべて事実だとは言えないでしょう。

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