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自然科学の基本法則


 この世界が全くバラバラで無秩序な存在だったら、我々は世界を知ることができません。それは世界、そして同時に我々自身が存在していないことを意味します。逆にもし世界を知ることができるなら、世界には規則だった法則性があること。すなわち世界は無秩序に存在しているのではなく、すべては自然の法則に従っているということです。それが科学の前提となります。(注:このように秩序だった世界のことをコスモスと言います)(補足1)
皆さんもきっとご存知かもしれませんが、自然科学には今まで発見された(正しいと認められた)たくさんの法則があります。
万有引力の法則、メンデルの法則、オームの法則、ボイル=シャルルの法則など(人の名前が多いのは発見者に因んでいるから)。聞いたことはあるかもしれませんね。
この自然の法則というものは”普遍的”です。普遍的と言うことは、「いつでもどこでも成り立つ」ことを意味します。例えばニュートンが発見した有名な「万有引力の法則」です。この法則というものは、発見者つまりニュートンが創ったものではありません。当たり前だけど。自然界の法則は発見者が発見する以前からもともと存在していたのです。仮にニュートンが発見しなくても誰かが発見するでしょう。
有名な話。ニュートンは庭の木からリンゴが落ちるのを見て、この法則を発見した。当たり前だけど、ニュートンはリンゴが木から落ちるのを発見したのではありません。そんなことは前々から誰もが知っていました。ニュートンはリンゴと地球との間に働く力(引力)が、月と地球との間に働く力と性質が同じであることを発見したのです。この力がニュートン家のリンゴだけに働いているわけではないのだと。この「万有」というのは宇宙のすべてに働く。つまり普遍的なものであることを意味しているのです。実際地球から何億光年離れた銀河も渦巻き型をしているのはそのためです。このようにいつでもどこでも成り立つのが自然法則です。
さて、その中で最も基本的で最も重要なものは何でしょうか?
答え:エネルギー保存の法則 (図4「エネルギー保存の法則」参照)
これを式で書きます。ある閉じられた空間(内部を囲われた空間の領域)の内部にある全てのエネルギーの総和をU、その変化量をΔUとし、その閉じられた空間に外部から流入するエネルギー量をQ1、反対に空間から出ていくエネルギー量をQ2とすると、

   ΔU=Q1−Q2 となる。

つまり何も無い空間から突然エネルギーが生み出されたり、逆にエネルギーが自然に消滅してしまうような現象は起こりえない。空間に存在する物体や我々人間も含めて生物でも内部にエネルギーを持っているため、突然無の空間から人間が現れたり、逆に人間が消えたりといったまさに幽霊みたいな現象は科学的にあり得ないということです。
宇宙全部のエネルギーを合計したものをUtotalとすると、

   Utotal=一定(変化せず)となります。

さらにこのエネルギー保存の法則に付随したもので次のようなものがあります。
情報量保存の法則
宇宙全部で確認できる情報のすべてを足したものをItotalとおくと、

   Itotal=一定(変化せず)となります。

情報は必ず何らかの物質に記録されます。例えば紙に文字を書き連ねたもの。本や手紙などがそうですよね。その他にもパソコンのハードディスクやUSBメモリーなども、記憶領域に0、1のデータを書き込んでいるわけです。つまり物質がなければ記録は有り得ません。情報と物質には切っても切れない関係があるのです。近年コンピュータ技術の目覚ましい進歩によって電子記録媒体におけるデータの大容量化は驚くべきものです。ハードディスクもテラ(1兆ビット)単位のものが(恐らく青山がこの記事を書き終わった時から、皆さんがこの記事を読むまでのわずかな期間にも容量は増え続けていることでしょう)。いずれ顕微鏡サイズの電子チップに図書館の全蔵書に匹敵する情報を保存できるようになるかもしれません。(補足2)
ところで、データの大容量化、情報エリアのミクロ化には限界はないのでしょうか?もし限界がなければ、この宇宙に蓄積できる情報量は無限大と言うことになります。情報一つ(1ビット)を電子などの素粒子の決まった状態(例えばスピンの向き(自転の方向))に置き換えると、確かに莫大なデータ量になりますが、それには限界があります。後述しますが、量子力学の不確定性原理によって、情報のミクロ化には限界があります。宇宙全体における電子などの素粒子の数ももちろん有限ですから、宇宙に蓄積できる情報量にも限りがあるでしょう。
宇宙はそれ自体閉じていますから(もしこの宇宙の隣にも別の宇宙があって、そこから情報が入り込んでくるなら、その隣の宇宙もこの宇宙と合わせて一つの宇宙と言うことになる)、宇宙に存在する全情報量は一定であり、従って、以下のことが言えます。歴史上の人物のデータを何らかの記憶媒体に保存するとしましょう。例えば「坂本龍馬」の全生涯を記録したデータを媒体に記憶したとする。ところがこの時点で宇宙に蓄積できるデータ量は既に限界だったとしましょう。もし新たに「西郷隆盛」のデータを記憶しようと思ったら、残念ながら「坂本龍馬」の情報は削除するしかないのです。会社で使っているパソコンのハードディスクではよくある話ですが、古い使わない情報はなるべく削除するように指示されることがありますね。このように、情報資産は無限にあるわけではありません。ということを覚えておいてください。

 ところでなぜこの世界には、法則や規則があるのでしょうか?自然科学には法則よりもより基本的な”原理”というものがあります。例えば、後に述べますが「相対性原理」、「光速度不変の原理」など。なぜこんな原理がこの世界に存在するのか?科学者に聞いても、「この世界とはそういうものだ」としか答えない。分からないわけです。
でも、いささか哲学的ですがこういうことだと思います。それは「この世界は人間が理解できるようになっている」というもの。
いや、世界は人間が理解できなければならない(注1)理由はない。もしもそうなら、世界について自分は何も分からない。だったら自分がこの世界に存在する意味もない。ならば科学をする必要もないことになります。そうじゃないんだと。この世界は必ず人間が理解できるようになっていなければならないのだと。この「理解できる」というのもあくまで仮定ですけど。
さて、今知られている自然界の原理の中で最も重要なものは何でしょう?物理学者ならこう答えるでしょう。それは「最小作用の原理(注2)」だと。最小作用の原理とは、「この世界の自然界における働きは、その作用が最小になるような形で実現される」。何を言っているのか分かりませんが。別の言い方では、この世界には様々なことが起こると考えられるが、実際には、一定の法則に基づいたことのみが起こりえる。それ以外の何の規則性もないことは実際には起こらない。というもの。それでも分からない?早い話が、この世のことは法則に基づいて起こります。という当り前のことを言っているだけです。この最小作用の原理を具体的に示すと、かなり数学的になるのですが、簡単に説明すると、
ある関数Lがあるとします。Lには時間t、空間x、およびそれらから派生した数値(例えば、xをtで微分したもの、あるいはxとtで波動などを表した関数)といったパラメーターを持っているとします。関数Lの形が決まり、パラメーターxとtに数値を入れれば結果が求まるというわけです。そのLの形を決めるために”変分”という手法を使います。Lが様々な形をとるとして、Lを積分したもの(これを作用Sという)が最小になるように、形を決めればよい。実際は極値をとるように決める。極値をとるとはSの(微小な)変化が”0”になるようにすること。結論から言えば、その時Lは”オイラー=ラグランジュの式”を満たせばよいということになります。
なぜそうなるのか?数学的なプロセスを経てオイラー=ラグランジュの式を導くことはできても、なぜこんな原理が存在するのか?それを聞かれても物理学者は答えられないでしょう。
では分からないのか?いいえ、その理由はこうです。
人間には、この世界に生まれてきた以上、この世界の仕組みについて分かりたい。知りたい。そういう欲求が本能的に備わっているのです。この世界について何も分からずに生きていくことは嫌なのです。この人間の性質は恐らく進化の過程で身に着けたものでしょう。よりよく生きるため、即ち幸せになるために、世界について分かりたい。世界を観察すれば、この世界に規則性があるのは確かです。それを見付けることによって人は無意識的に喜びを感じるのです。例えば、規則性の中に自然界には対称性というものがあります。よく例に出されるのが、蝶の羽の左右対称な形。その羽の文様を見て人はそこに美しさを感じるわけです。もし左右がまったく対称でなければ、そこに美など感じません。ではなぜ左右対称な形を見付けたときに嬉しさを感じるのか?もしも蝶の羽は対称だという自然の規則を発見したら、片方(左)を見ただけで、もう片方(右)の羽の文様を想像することができるからです。(少しでも世界の規則性が分かれば、そこで楽ができる(分かっていることを敢て調べなくても済む)から)
最小作用の原理でも、「Sの変化が”0”になる」とは、時間空間が様々に変化しても、関数の形は変わらないことを意味しています。(いつでもどこでも)形が変化しないということは、即ちそれが自然界の普遍性(自然法則)を表し、それを発見したことになるわけです。世界のあらゆることが変化しても、その中に規則性を発見する。そこに喜びを感じるのが人間というわけです。
さて、この最小作用の原理に気付いたオイラー(スイスの数学者)は、この自然界の原理に神の働きを見出します。この世界は神によって規則性が定められている。もともと敬虔なオイラーは、そこで神の存在の確信を得、百科全書学者(注3)で無神論のディドロを数学を用いてやり込めます。ただ、後に同じ百科全書学者で自然科学の分野を担当したダランベール(注4)が、自然界の原理は、神の存在を想定しなくても説明可能であることを示したのです。
(注1) 「世界は人間が理解できない」というのも一つの原理
(注2) 別名、変分原理、またはハミルトンの原理 この原理が重要な理由は、古典力学、電磁気学、量子力学など、物理学のあらゆる分野で使えるから
(注3) 18世紀のフランスにおける啓蒙思想を受け、文化、科学、芸術のあらゆる知識を百科事典にまとめた学者たち
(注4) フランスの物理学者

(補足1)余談ですが、人間が作った法律と自然法則は全然違います。法律はその気さえあれば誰でも破ることができます。それに対して自然法則は、どんな反逆者でも従わざるをえない。当たり前ですが。

(補足2) 勘違いしないでほしいことが一つ。物質に記録される情報そのものには本来意味はありません。例えば、ある紙の上に描かれた模様を点として記録し、黒い点を”1”、白い点を”0”として、端から並べてみると、”000101001011101101100011010011110110110101111000101001・・・・”という具合に"1"と"0"の羅列があるだけで、これ自身何の意味もありません。ただし情報には違いはないのです。そこに意味を持たせているのは人間です。(この"1"と"0"の組み合わせが、実はシェークスピアの”マクベス”と認識しているのは英語を解する一部の人間のみ。別の解釈によれば、青山の「科学概論」かもしれない。ただし、情報としては同じです) 自然界にそもそも意味などないのです。

この現実世界にはどうしても覆せない自然法則が存在する。科学とはそれを探求する営みです。すなわち、世界はすべて原因と結果の関係があり、その関係を見極めることが科学の目的です。科学は魔法ではないから、できることとできないことがあるのです。

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